今日のみ言葉【No.1850】(2018年10月 3日)「 神の祝福を受けるための訓練『お中元・お歳暮(3)』」
わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた。
(ヨナ書2:2)
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稀代の美食家、北大路魯山人(きたおおじ ろさんじん)は、
「美味い湯豆腐を食べようとするには、なんといっても( )のいいのを選ぶことが一番大切である」
と書いています。
この括弧の中には何が入ると思いますか?
薬味?醤油?
正解は「豆腐」です。
当たり前過ぎて気が抜けてしまいそうですが、真理は常に単純なのです。
そして、良い豆腐を作るのは良水であるとし、水の良し悪しが豆腐を決めると述べています。
(出典:青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/cards/001403/files/49961_37670.html)
表からは見えず、しかし、その中に流れ、内に満ちている水の存在が豆腐の味の鍵となるとは言い得て妙です。
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私たちが相手に贈るプレゼントの中にも、その水と同じものが必要です。
それは相手の存在を認めるということです。
感謝を思い起こし、送る先の状況を考えて最も良いものを選ぼうとお仕えするのは、お中元やお歳暮を生きたものとするためです。
それは、
「あなたの存在を認めていますよ」
というこちら側の気持ちを相手に感じ取ってもらえた時に実現します。
逆に、
「ありきたりの物が来たなあ」
と感ずるのは、
「自分はあの人にとって特別な存在ではない。十把一絡げのどうでもいい存在なのだ」
と受け取るからです。
物に気持ちを込めるとは、物を通して相手の存在への承認を与えることなのです。
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旧約聖書でヨナは自分の存在を神に認められた人でした。
とはいえ、神に従って良いことをしたから認められたのではありません。
彼は敵国の首都ニネベに伝道に行きなさいと神から命ぜられましたが、反発して逃げていきます。
神様のことを宣べ伝えたら憎らしいニネベの人々は救われてしまう。それは嫌だと彼は考えたのです。
ところが、逃げていった先に神は嵐を用意し、一緒に乗船していた人々から「嵐の原因はお前だ」と決めつけられ、ヨナは海に投げ込まれます。
ヨナは大魚に飲まれ、その腹の中で神に祈ります。
「わたしは悩みのうちから主に呼ばわると、主はわたしに答えられた。わたしが陰府の腹の中から叫ぶと、あなたはわたしの声を聞かれた」
(ヨナ書2:2)
神に逆らっていたのに、悔い改めて神に祈れば、以前から自分に目を注いで下さっていた神はその祈りを聞き、答えてくださる方だということを体験したのです。
存在が認められるとはこういうことです。
神との間の、この見えない強いつながりを持つ人は、人に対しても強い存在の承認を与えられるようになります。
こうなると、お中元やお歳暮等のギフトのやりとりは、義務や慣習、人間関係維持の手段だけにはとどまりません。
相手の歓心を買おうとする下心さえも見えなくなります。
それは、相手の存在を認め、その先にある
「あなたは神様から愛されていますよ」
というメッセージを伝えるための下地となるのです。
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良い水で出来た豆腐を仕入れ、美味い湯豆腐を食べる今日として参りましょう。
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