今日のみ言葉(2012年 2月1日)【No.233】
「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」
(マタイ24:35)
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先が見えない時代には、様々な終末予言が噂されるのが世の常です。
聖書にははっきりと、「天地は滅びる」と書かれてあります。
しかし、
「その日、その時は、だれも知らない。天の御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。」
(マタイ24:36)
とあるように、イエス様も知らないと言うくらいですから、「その日、その時」がいつ来るかは父なる神様にお任せする以外ありません。
大事なことは、天と地というこの世界以上に確かな神の言葉に土台を置いて生きることです。
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今日の聖句を土台として今を生きるとはどういう事でしょうか。
それは、
「終わりの時に私たちは神の前に立つ」
ということを意識して今を生きる、ということです。
それは、がんばり抜いて正しいことをして生きる、ということではありません。
正しい者が滅び、悪が栄えるこの世の矛盾を目にしながら、しかし、
「終わりの時に私たちは神の前に立つ」
ことを信じ、希望を持ち続けることです。
ここにキリスト教倫理の土台があります。
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米沢興譲教会に根っこの会というおばあちゃんの集いがあります。
地表からは見えない根が木を支え、養分を吸い上げているように、祈りで教会を支えておられる方々です。
人生の酸いも甘いも味わい尽くした末に醸し出されるやさしさが、根っこの会に集われる皆さんの大きな特徴です。
それは、「やがて」を信じているがゆえに生み出される良き実なのです。
先に天に凱旋されたこの会のメンバーの方々は、10人そこそこの集いの時に、1台のストーブに身を寄せ、暖を取りながら、「やがて」を信じて祈り合われたのです。
今のように多くの人々が救われ、新しい会堂が建つのを目にする前に召された方々が多くいらっしゃいます。
しかし、その方々の「やがて」の祈りと「やがて」を信じて生きたその結果、今の教会があることを私は実感しています。
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やがて神の前に立つその日のために、今日を精一杯生きて参りましょう。
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