今日のみ言葉【No.864】(2014年 7月10日)
主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。
(詩篇34:18)
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インターネットでどんな本でも手に入る時代、どうやって良い本を選んだら良いのでしょうか?
やはり書店です。
その本屋さんの目を通して膨大な本の中からふるいにかけられた本が陳列されるからです。
それに加えて、センスの良い書店でなければなりません。
そこでポップが書かれている本ならまず間違いないでしょう。
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詩篇には第1節の前に前書きが書かれているものがあります。
わざわざどのような状況で作られた詩なのかを説明しているのは、正しく解釈してもらうためです。
詩篇第34篇では、
「ダビデがアビメレクの前で狂ったさまをよそおい、追われて出ていったときの歌」
とあります。
ダビデはサウル王から追われ、命からがら敵のガテの王アキシの陣営に逃げ込みました。
ダビデは狂った様を演じる醜態を晒してまで身を守ろうとしましたが、功をなさず、惨めなままでそこを去ることになります。
彼はこの体験から、人間的な策に溺れることなく、ただ神に助けを求めなければならないことを学びます。
神に祈り求め、神が開いてくださった道を歩むことが真の解決なのです。
そのために必要なことは、ダビデのように心が砕かれる体験です。
「主は心の砕けた者に近く、たましいの悔いくずおれた者を救われる。」
(詩篇34:18)
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米沢興譲教会のスタッフの間では、
「カチン!と来たら砕かれよ」
という標語があります。
スタッフは天使ではなく生身の人間であり、しかもまだまだ発展途上です。
ですから、人の言葉にカチン!と来たり、あの人がやってくれなかったことにカチン!と来ることは当然あります。
そういう時には、自分の中に
「砕かれなければならない固いもの」
があると気づきなさい、ということなのです。
しかも、カチン!という音が大きければ大きいほど、心の中の固いものは大きく、砕きがいがあるというわけです。
相手にも当然悪いところがあるでしょう。
そこを指摘して相手に直してもらうことも必要でしょう。
しかし、発展途上で自分の成長を願うのなら、人になんやかんやと言う前に、自分の中の砕かれなければならないものに対面し、それを神様の手で砕いていただくことが先なのです。
「なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。」
(マタイ7:3)
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神様は、たましいの悔いくずおれた者を救われます。
カチン!という音が出ないほどまで砕かれた者を目指して、今日も神に導かれてまいりましょう。
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