今日のみ言葉(2012年 2月2日)【No.234】

2012年2月6日

「花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。」
(マタイ25:5)

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今日の聖句のたとえ話では、花婿とはイエス・キリスト、十人のおとめは人間、結婚式は世の終わりを表します。

世の終わりにある裁きの時のために、今どうあるべきかを教えています。


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十人のおとめたちは、思慮の浅い者と深い者の二つに分けられます。

これは頭の良し悪しや優秀か劣等かというようなことを意味しているのではありません。

世の終わりのことを考えに入れて生きている人と、そのことは考えないで生きている人の2種類あるということです。

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興味深いことに、両方とも居眠りをしてしまうのです。

世の終わりのことを教わり、その事を意識しているはずのクリスチャンも、いつしかまぶたが閉じてしまい、意識を失っているのです。

私は個人的に、この部分にとても慰めを感じます。

分かっていても、気づいた時には「寝てた!」というこの私を神はご存知なのです。

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そこで思慮の深い者と浅い者とを分けたのは油でした。

これは御言葉です。

緊張感を欠き、居眠りをしてしまうような生活の中でも、御言葉を心の中に貯えていくと、やがて再臨の時に主を迎えに出て行けるのです。

ですから、日々の聖書通読やディボーションで、あくびをしながらでも、あるいは、「よく分からないなあ」と思いながらも、続けることには大きな意味があります。

また、「なまくらな教会生活だなあ」とか、「今日の説教は恵まれなかった」と感じつつも、教会生活を送り続けることには十分な意味があります。

それは予備の油を一滴一滴、貯えることになるからです。

コックリ、コックリと居眠りしている私たちの姿を神はご存知です。

その私たちをあえてお選びになり、今日の聖句を与え、備えておられるのです。

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神はまどろむこともなく私たちを見守っていて下さいます。その愛に感謝しつつ今日一日を大切に歩んで参りましょう。

マタイ,御言葉

Posted by maruyama