今日のみ言葉(2011年4月18日)【No.29】
「また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬で教えられた。」
(ルカによる福音書18:1)
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無力な人だけが真に祈ることが出来ます。
祈りは人間が自分の無力さを知った時、初めて生まれます。
無力な人間がうめき出すようにして祈るその祈りは、最も神の心を揺さぶります。
祈りは、生まれて間もない赤ちゃんが出す泣き声のようなものです。母親はその声からはまだ言葉としての意味を見出すことが出来ません。
しかし、赤ちゃんの訴えは痛いほどわかるのです。我が子が何を欲しているのか直感的に察知できます。そしてその願いをすぐ満たしてあげようとするのです。
赤子は母親に対してどのような条件を満たせばミルクを飲ませてもらえるのか、おむつを取り替えてもらえるのかと考えることはしません。
赤ちゃんは全くの無力です。
できることはただ泣き声をあげることのみです。
それが祈りです。
「常に」「失望せずに」「力強く」などとは到底祈ることの出来ない自分の力の無さからポタリと一滴、
「主よ…」
とだけ出た祈りほど神の心に届くものはありません。
無力さの中で思わず出てくる思い、ささやきのようなわずかな言葉、時には言葉にならないうめきや涙さえも、神は「祈り」として受け取って下さいます。
安心して祈っていいのです。がんばって祈ろうとして言葉が続かなくてもいいのです。無力な人が最も祈ることが出来るのですから。
祈りは神への希望です。あなたが祈る前から耳を澄まして祈りを聞こうとしておられる神様がおられることを信じ、ありのままの姿で、あなたならではの祈りを捧げてまいりましょう。
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