今日のみ言葉(2011年5月7日)【No.48】

2017年4月15日

「わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。」(ローマ人への手紙5:6)

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津波到達の直前まで防災放送で南三陸町民に避難を呼び掛け続け、その後津波に飲まれ、行方不明となっていた24才の女性職員の遺体が今月2日確認されました。町民の命を守るため、命をかけて放送し続けた彼女の生き方に多くの人が感動を覚えます。

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歴史上の数々の崇高な例と同様に、イエス・キリストも他者のために自分の命を犠牲にした一人です。しかしそこには際だって異なる特徴があります。

それは、「父なる神様、私の命を捧げますから、代わりにあの人の命をお救い下さい」の「あの人」というのが、思いもよらない人たちのためだったのです。

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今日の聖句に引き続く個所では、「わたしたちがまだ弱かったころ」「まだ罪人であった時」「わたしたちが敵であった時」にキリストは私たちのために死んで下さったと書かれてあります。自分の死が全く無駄に終わるかもしれない人たちのために命を捧げたのです。見返りを求めない愛とはまさにこのことです。人はその愛に出会う時のみ、真に解放されていきます。

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「兎追いし かの山」で始まる唱歌「ふるさと」の作曲者は、岡野貞一という敬虔なクリスチャンです。彼の作品は他にも、「春が来た」「春の小川」「おぼろ月夜」「もみじ」「日の丸の旗」「桃太郎」「夕焼け」など、日本人なら一度は口ずさんだことがある曲が多数あります。彼は高等師範学校附属音楽学校(現・東京藝術大学)卒業後、同校にとどまり、後進の指導に当たります。その後の経歴は以下のように紹介されています。

「在任中に文部省から小学校唱歌教科書編纂委員を命じられ、『尋常小学読本唱歌』『尋常小学唱歌』などの編纂にたずさわり、多くの唱歌を作曲した。長野県出身の国文学者 高野辰之の詞に曲を付けた『ふるさと』『おぼろ月夜』などは、100年以上経った今日でも歌い継がれている。熱心なクリスチャンとして知られ、40年余りに亘って毎日曜日に東京の本郷中央教会で礼拝のオルガン演奏や聖歌隊の指導に当たった。公務の都合以外で教会の務めを休んだ記録がないという逸話からは、実直な性格が窺われる。昭和16年12月29日、63歳で逝去。」(鳥取わらべ館 http://warabe.or.jp/floor-guide-sum/1f-musicians-from-tottori/より)

「ふるさと」の歌詞の中には具体的な場所を示す言葉は出てきませんが、岡野の心の中には故郷鳥取の風景と共に、天のふるさとのイメージがあったに違いありません。彼はその生涯で一曲も讃美歌を作りませんでしたが、信仰を人に強制しない彼の生き方は、日本人の心に賛美歌で養われた美しいメロディーを深くしみこませ、逆に、

「讃美歌っていいな」
「天のふるさとがあるんですね」

と、現代の人々に神の素晴らしさを語らせているのです。

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わたしたちのために心から命を投げ出して下さった方がおられることを知り、その自由な愛を心に受け止めて参りましょう。

初期,御言葉

Posted by maruyama