今日のみ言葉(2011年8月22日)【No.152】
「これらの事の後、主の言葉が幻のうちにアブラムに臨んだ、『アブラムよ恐れてはなら
ない、わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは、はなはだ大きいであろ
う』。」
(創世記15:1)
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人間のストレスが一番高まるのは、恐れていることがまだ起きていない時です。
「本当にそうなったら困る」と恐れている時に一番ストレスを感じます。
しかし、その恐れていたことが現実となる日が来ても、案外、人間は粛々とその事案をこ
なしていくものです。
逆に喜びが一番高まるのは、望みがかなえられた時ではなく、望みがかなえられる前です。
欲しい物を買う前が一番楽しい時を過ごせるのです。
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アブラハムが神から約束された報いとは、子孫が星の数のように繁栄し、広大な土地が与
えられることでした。
しかし、実際にアブラハムが生きている間に得たのは、十人に満たない子供と、墓地と畑
でした。
彼は報われずに人生を終わってしまったのでしょうか?
いいえ、彼が神の約束の実現を夢見たとき、それは既に現実になったのと同じだったので
す。
歴史を見ると、神はその約束を確かに果たして下さり、私たちは現在、イスラエルという
国が存在する世界に生きています。
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米沢興譲教会に「根っこの会」というおばあちゃんたちの集会があります。
地中にあって見えないけれど、幹や枝や実に栄養分を吸い上げていく根っこのように、祈
りで教会を支えておられる方々です。
かつて木造の古びた教会堂の中、十人に満たない教会員で、おばあちゃんたちは、「百人
礼拝、千人礼拝の大会堂を」と熱っぽく飽きずに祈り続けられました。
そんな大きな会堂などとても無理、どころか、全く無理、という時が数知れずありました。
しかし、神に祈り続けた方々です。
そして今の礼拝堂があるのです。
おばあちゃんたちの多くはその実現を目にする前に天に帰られました。
しかし、心の中で既にその大会堂を見ていたのです。
神は確かにその祈りに応えて下さいました。
神の報いは、信じたその瞬間から始まるのです。
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神の御言葉に根を張る一日として参りましょう。
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