今日のみ言葉【No.1785】(2018年 6月25日)「 キリスト教の神(3)」
主のはかりごとはとこしえに立ち、
そのみこころの思いは世々に立つ。
(詩篇33:11 )
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私がいつか成し遂げたいと思っている夢は、自分で釣った魚をその場で食べることです。
私の生まれ育ちは山形県の米沢市。
畑で今採ったばかりのキュウリを食べていましたから、野菜の本物の味を知っています。
しかし魚となると、海から遠く離れた山あいの盆地ですから、生臭くてまずいという印象しかありません。
一度でいいから本物の魚の味を知りたい。
この思いが私を動かし、強い意志となって人生をその方向に進めているのです!
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人格を持った相手から感ずるものは様々あります。
愛、やさしさ、知性、謙遜…。
その内で最も強烈に感じるものは、意志です。
意志は物事を思ったとおりに推し進めようとし、そのための計画を練ります。
神は人格を持った存在ですから、「御心(みこころ)」という語で聖書に記される意志を持っておられます。
特に神は「罪ある人間を救う」という強い意志をお持ちであり、そのための壮大なご計画を立てられました。
どんな妨害があろうとも、ご自身が立てた計画を着々と進める強い意志を持った御方。
それが神の姿なのです。
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人格的存在は他の人格的存在から影響を受けます。
人間も人格的存在ですから、神とふれあうことにより影響を受けます。
ですから神がその御心を進めようとする時、その意志の強さに触れた人間は、理論で得た知識としてでなく実体としての意志の強さを内側に形成します。
祈りがかなえられた時ばかりでなく、祈りが応えられない時がまさにその時なのです。
どんなに祈っても、泣いても、わめいても、答が与えられない時。
「まじめになります」「悔い改めます」と神に約束しても、何の変化も起こらず、絶望の淵に沈み、神への信頼など投げ出したくなる時。
その時こそ最高の神との交わりの時なのです。
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お母さんに子供がおねだりをします。
「ママ、あれ買って」
お母さんは静かにこう言います。
「誕生日まで待つお約束だったね。今日は買いませんよ」
ところが子供は今日欲しいのです。
「ママ、誕生日まで待てない。今欲しい」
お母さんは子供がどんなに言っても、わめいても、駄々をこねても、同じ返事です。
「誕生日まで待つお約束だったね。今日は買いませんよ」
このやりとりを通して、子供は言葉や知識としての「忍耐」や「我慢」は学びませんが、何だかわからないけど「ガン!」とぶつかる強いものが母親の内にあることを体験し、実体としての「忍耐」を学びます。
そして本物の実体としての「忍耐」を内に形成し、
「この私の内側の強い力は『忍耐』という言葉で表されるものなのだ」
と、後になって学習するのです。
神との人格的出会いの結果、人間は必ずその影響を受け、神からの賜物を内に宿すのです。
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祈り、神の御心を知りましょう。
それがどんな結果に終わったとしても、神との人格的交わりは成されています。
その生きた交わりを通して、神理解は深まり、神のご性質を帯びた者へと私たちは変えられていくのです。
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