今日のみ言葉【No.1844】(2018年 9月26日)「 神の祝福を受けるための訓練『お中元・お歳暮(1)』」
しかし食物は、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない。
(第1テモテ4:3-4)
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アメリカのフラー神学校で世界宣教の授業を受けていた時、
「アジアでは贈り物をし合う習慣がある。これは賄賂ではない。"Gift giving"という文化だ」
と教授が教えるのを聞き、これは主に日本のことを言っているのだな、と理解しました。
かつてのバブル景気時代の都市伝説ですが、
「アメリカの企業が弁護士に払う費用と、日本企業が交際費に使う金額がほぼ同じだ」
というまことしやかな話が流れたことがありました。
真偽の程は別にして、問題に対応する日米の文化の違いをよく表しています。
私たちは意識するしないに関わらず、このような文化の中に生まれ育ち、これからもその現実の中で生きていきます。
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日本で生きるクリスチャンは、お中元やお歳暮を世渡り上手の処世術的なものとはとらえません。
「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない」
(第1テモテ4:4)
という御言葉の上に立ち、神の目を通して日本文化を見、それにキリスト教的意味付けをして神の御心を見い出すのです。
アメリカの神学校の教授がギフト・ギビング・カルチャーと表現した現実の中で実際に生きてみると、次の3つのことが見えてきます。
(1)感謝
(2)仕える
(3)存在を認める
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まず「感謝」です。
お中元やお歳暮は、義務や慣習として、そして最も多いのは「人間関係維持のため」ということではないでしょうか。
しかし、いざその季節となり、贈る側の立場に立ってみると、まず考えるのは費用です。
「高すぎても安すぎても…」
「相手もこちらに送ってくるだろうし、釣り合いがとれないと塩梅が悪いし…」
こういうことで頭を悩ますのは、いばらの中に蒔かれた種のようだ、とイエス様のたとえ話を思い出します。
しかし、このいばらの中を突き抜ける方法があります。
それは、感謝を見つけることです。
「あの人にはお世話になったなあ」
とギフトシーズンでは強制的に感謝を思い出させられます。
そうすると、値段どうこうというのは二の次三の次に思われるようになるのです。
感謝があれば、気分すっきり支払えます。
まず第一に感謝すること。
それが神の御心です。
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神が与える良いものを受け取り、それに感謝する一日として参りましょう。
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