今日のみ言葉【No.1276】(2016年 4月25日)
わたしは二本のつえを取り、その一本を恵みと名づけ、一本を結びと名づけて、その羊を牧した。
(ゼカリヤ11:7)
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イスラエルの羊飼いは2種類の杖を持っていました。
(1)先端がフック状になっている曲がった杖。大切な羊を安全に導くための杖です。
(2)真っすぐな杖。こん棒と言った方がよいような形状で、羊を外敵から守るための杖です。
有名な詩篇第23篇4節で
「あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。」
とありますが、ここで訳されている「むち」が(2)の方で、「つえ」が(1)の方です。
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ゼカリヤが語る2本の杖の1本は「恵み」(ヘブル語で「ノーアムנֹעַם」)と名づけられました。
これは詩篇第27篇3節でダビデが歌う「うるわしき」と同じ言葉です。
「わたしは一つの事を主に願った、わたしはそれを求める。わたしの生きるかぎり、主の家に住んで、主のうるわしき(ノーアム)を見、その宮で尋ねきわめることを。」
(詩篇27:3)
ダビデが願った「一つの事」である恵みの杖が折られるということは、「主の家」であるエルサレムの神殿が破壊され、神との恵みの契約が果たされなくなることを意味します。
もう一本の杖「結び」は、ヘブル語で「エハドאֶחַד」で「一つ」という意味です。
これも折られます。
すなわち、一つであったイスラエルの民がバラバラになり、離散してしまうということです。
イスラエルが真の羊飼いになしたことは、この2本の杖を折る結果となりました。
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彼らが真の羊飼い(キリスト)をどう評価していたかということが次に記されています。
「彼らはわたしの賃銀として、銀三十シケルを量った。」
(ゼカリヤ11:12)
これは奴隷一人分の値です。
彼らにとって、ほとんど価値がなかったのです。
このことはユダがイエス様を裏切った時の値段として成就しました。
「時に、十二弟子のひとりイスカリオテのユダという者が、祭司長たちのところに行って言った、『彼をあなたがたに引き渡せば、いくらくださいますか』。すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。」
(マタイ26:14-15)
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私たちはここから何を学べばよいのでしょうか?
まず、私たちには神様から2本の「つえ」の扱いが用意されているということです。
それは私たちを外敵から守り、正しい方向へ導き、守ってくれるための杖です。
しかし、もし私たちが神の御心とは違う方向に行きたいという欲望を持っていたら、それは自分を束縛する嫌なものとしか感じられないでしょう。
古代イスラエルが真の羊飼いを奴隷の価値しか無いものとしか思わなかったように、私たちもそのような危険に陥る可能性があります。
自分を中心として値積もるのではなく、神を中心とする価値観に目覚めること。
それが人生の様々な問題の中に、神の「つえ」を見出すための勘所です。
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新しい目で今日の課題に取り組んで参りましょう。
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