今日のみ言葉【No.1275】(2016年 4月23日)

あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ。
(ゼカリヤ10:1)

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かつてジョイフルチャーチの隣が畑だった頃、耕運機の音で目がさめました。

明日は「晴れ」の天気予報なのに、一日かけて老夫婦が苗を植えます。

その農家のおじさんに聞くと、

「月山にああいう雲がかかっているから明日は雨だ」

とおっしゃいます。

天気予報が勝つか、おじさんが勝つか?

翌朝、雨の降る音で目を覚まし、

「オッチャンの勝ちだ!」

と驚いたことが何度もありました。

長年の経験で雨がいつ降るか、空の兆候でおわかりになるのでした。

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日本全体では定期的に雨の季節がやって来ます。

梅雨です。

温暖な地中海性気候のイスラエルにも雨の季節があります。

秋の雨と春の雨の2回です。

その雨は定期的に必ず降ります。

ですからイスラエルの農家は、秋の雨が来る直前、まだ畑が乾いているのに種を蒔きます。

すると秋の雨が降り、種が芽吹き、順調に成長し始めます。

春の雨は収穫前に降る雨です。

この雨によって農作物は豊かに実るのです。

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雨は作物の出来不出来を左右する重大な条件です。

つまり、食料が得られるか得られないか、雨に命がかかっているのです。

古代イスラエルはこの雨を降らせる方を正確に見極めなければなければならないはずでした。

しかし彼らは安易に豊穣を約束するバアル神などの他の神々に向かって行きました。

本当は、何の力もない偶像の神々ではなく、自分たちをエジプトでの奴隷から解放し、人格的に愛し、契約を結ぶ真の神と共に歩まなければならなかったのです。

「あなたがたは春の雨の時に、雨を主に請い求めよ」
(ゼカリヤ10:1)

この御言葉は、私たちの人生を本当に支えてくださる方は誰であるか、それを正しく見極め、その方に人生を預け、求めて行きなさいと私たちに語っています。

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K子さんは小学生のお子さんを持つお母さんです。

子供たちが小さい時は自分の目の届くところにいて、十分に手をかけることが出来ましたが、大きくなるにつれ、そうも行かなくなりました。

特に、子どもは子どもなりの考えを持つようになり、母親の考えとは反対の考えを持つ時もあります。

子育てのひとつの転換点の時期が来たようです。

K子さんは神様にどうしたらいいか祈りました。

すると次の御言葉が心に浮かんできました。

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ。しかし成長させて下さるのは、神である。」
(第1コリント3:6)

彼女は

「そうだ、成長させて下さるのは神様であって、親であるけれど私はその一翼を担っているに過ぎないのだ。」

と気づかされ、スッと肩から荷が降り、キツイ気持ちが緩やかになった気がしました。

そして、お子さんが何を考え、どんな気持ちでいるのか聞いてあげるゆとりが生まれました。

子どもが選ぶことが何であれ、それで成功したり、逆に痛い目にあったりのその一つ一つに親である自分が伴い、寄り添い、支えていくことが自分のできる最善であることが見えてきたのです。

「成長させて下さるのは、神である」

K子さんはこの御言葉によって、徐々に子離れができるようになり、お子さんの自立を見守っていくお母さんとしてご自分も成長されておられます。

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天から雨を降らせ、私たちの命を支える神に力と知恵を求め、今日も成長させていただく一日として参りましょう。

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