今日のみ言葉【No.1562】(2017年 7月 6日) 092 「イエスの準備された食卓にあずかった弟子たち」(1)
シモン・ペテロは彼らに「わたしは漁に行くのだ」と言うと、彼らは「わたしたちも一緒に行こう」と言った。
(ヨハネ21:3)
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「前と同じようにバリバリ仕事ができるようになりたいんです。どうすればいいですか?」
うつ病になって1年間休職した40代後半の男性からの質問に、心療内科医の海原純子先生は一瞬考え込んだ後、こう答えられました。
「心や体が悲鳴を上げたのは、そのままその道を行かないでくれ、というストップの叫びだと思います。バリバリとその場所で同じように進んでは危ないですよ、とブレーキをかけているのではないでしょうか?」
(『男はなぜこんなに苦しいのか』,海原純子著,朝日新聞出版,P3)
今ストップしているのは意味があること、そして、これまでの生き方とは違った新しい関わり方を仕事や家族との間に見出すための準備期間であることを海原医師は教えられたのです。
挫折を経験した人間は前と同じ状態に戻りたいものです。
故郷ガリラヤに戻ったペテロも、かつての自分に戻ろうとしました。
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ペテロを始めとする弟子たちはガリラヤに戻りました。
復活直後のイエス様ご自身が女たちにこう命じておられたからです。
「恐れることはない。行って兄弟たちに、ガリラヤに行け、そこでわたしに会えるであろう、と告げなさい」
(マタイ28:10)
ペテロはガリラヤ湖を前にして、「わたしは漁に行くのだ」と言います。
これは
「イエス様が見つかるまで、ちょいと暇つぶしに釣りにでも行ってくるかな〜」
などという呑気なものではありません。
夜を徹して網を打つ本格的な漁です。
どうやらペテロは以前と同じ漁師に戻ろうかと考えていたようです。
他の弟子たちも同行したところを見ると、彼らも同じような考えだったことがうかがえます。
弟子たちは一度は夢を持ち、そこに人生を賭けた人たちでした。
しかし、人間の野望と神の御心は一致しません。
彼らは夢破れ、挫折した人たちであり、まだ心の傷は癒やされていなかったのです。
確かに復活のキリストと出会い、弟子たちは喜びに満たされてはいました。
しかし、だからといって最初にイエス・キリストと出会ったあの時の燃える思いで再スタートできるかというと、そういうものでもありません。
不完全燃焼の彼らにとって、とりあえず自分たちができること。
それが漁に出ることだったのです。
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ところが、それすらうまくいきません。
「彼らは出て行って舟に乗った。しかし、その夜はなんの獲物もなかった」
(ヨハネ21:3)
一晩中漁をしたが何も取れません。
彼らの心境は
「何をやってもうまく行かない…」
「漁師としての再スタートを試みたが、それもまた挫折か…」
というものだったのではないでしょうか?
あれ?ちょっと待ってください!
この状況に何か覚えはありませんか?
「わたしたちは夜通し働きましたが、何も取れませんでした」
(ルカ5:5)
そうです。ペテロ自身がそう言っていました。
そして今まさにあの時とそっくり同じ状況が弟子たちの前に作り出されようとしていたのです。
人間の挫折は、実は神のご計画の中にはめ込まれた重要部分だったのです。
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神は用意周到に準備され、計画を練って、最善のタイミングで実行に移されます。
私たちの失敗体験は神の御計画の中でなくてはならないものとして用いられるのです。
神の愛の中で動かされていることを思い巡らす一日として参りましょう。
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