今日のみ言葉【No.1277】(2016年 4月26日)
わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。
(ゼカリヤ12:10)
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ニコラス・ケイジ主演の映画「レフト・ビハインド」は、世界中で人類の大量失踪事件が起きた世界を描くパニックアクションです。
これを見た私は、
「ああ、終わりの始まり。まだ序の口だなあ。続編があるんだろうなあ。」
「それにしてもニコラス・ケイジを引っ張り出してリメイク作品を作るとは、製作者側は相当の執念の持ち主だなあ」
などと能天気な感想を持ち、いかに聖書に忠実に映画が作られているかなどというところはすっ飛ばしていました。
一般の日本人の感想は酷評ばかりです。
無理もありません。聖書を知らない人にとってはどれもつじつまが合わず、荒唐無稽で、観客が置いてきぼりにされている印象を持つことでしょう。
聖書を知らない人にとって、この世とは何が出て来るかわからない真っ暗なお化け屋敷のようなものです。
その中を自分の携帯電話のか細い明かりを灯しながら進んで行っているのが実状なのではないでしょうか。
しかし、聖書を知る者は、世界が歴史の今どの辺りに来ているかわかり、終末が近いこと、そして、それまでの僅かな期間、人生をどう生きたらいいのかが分かるのです。
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神は古代イスラエルに対して、
「わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。」
(ゼカリヤ12:10)
と、将来の民には「聖霊の照明」が与えられるとの預言を与えられました。
ずっと昔から、そして救い主イエス・キリストが到来した時代も、そして現在も、ユダヤ人は
「救い主はまだ来ていない」
という立場でいます。
彼らの霊的目は閉ざされ、心に覆いがかかっているため、ありのままの姿が見えないのです。
「今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。」
(第2コリント3:15)
これを打開するには、彼らがイエス・キリストの福音に耳を傾け、自分自身で検証しなければなりません。
「しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。」
(第2コリント3:16)
これには霊なる神の働きが必要です。
「主は霊である。そして、主の霊のあるところには、自由がある。」
(第2コリント3:17)
外部からの神の介入、つまり、特別な聖霊の働きがあって初めて、人の心は悔い改めに向かい、自分の正しい姿が見え、自分が今どこにいるのかがわかるのです。
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今日の聖句の
「わたしはダビデの家およびエルサレムの住民に、恵みと祈の霊とを注ぐ。」
(ゼカリヤ12:10)
とは、終末時のユダヤ人の悔い改めのため、神が特別に聖霊を降されることを示しています。
それは
「恵みと祈の霊」
です。
この霊が注がれることにより、ユダヤ人の霊的目が開かれ、個人々々がイエス様を拒絶していた罪を悔い改め、国家的な悔い改めが起こります。
「彼らはその刺した者を見る時、ひとり子のために嘆くように彼のために嘆き、ういごのために悲しむように、彼のためにいたく悲しむ。」
(ゼカリヤ12:10)
悔い改めはつらいものですが、その一歩先には、神の恵みの手が差し伸べられています。
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S兄は職場の先輩から、
「お前はカッコつけてるなあ。そんなのやめたらどうだ?」
と言われました。
何のことか初めは全然わかりませんでした。
自分では自分の仕事をこなし、精一杯やっていて、成果も出しているつもりです。
しかし、よくよく考えてみると、周りの人から助けられ、おんぶにだっこで毎日を乗り切っている自分の姿が客観的に見えてきました。
そこで素直に、「はい、教えて下さりありがとうございました」となればいいのですが、人の心はそう単純ではありません。
建前では言えますが、本音の部分では自分の心を防衛する反応が即座に出て来ます。
「そう言ってるあなただってカッコつけてるじゃないですか」
という思いがムクムクと湧いてくるのです。
職場の人たちを見ても、
「なに悲劇のヒロインぶってるんだ!」
と、その人たちの中に自分の姿を見ていることも知らず、心の中で責めだします。
教科書通りの正論と自分の本音の板挟みとなり、彼は葛藤で疲れきってしまいました。
そんな時、教会の礼拝でこんなお話を聞きました。
「あなたの本当の姿を見せると、人は去っていきます。」
S兄は、
「本当だ。僕はそれを恐れてカッコつけてるんだ」
とピンときました。
牧師は続けてこう言いました。
「しかし、自分の本当の姿を見せると、本当の友達ができます」
S兄の心にはこの言葉がしみました。
彼の心に聖霊が語って下さったのです。
どんなに罪深く、醜い心の自分であっても、イエス様は自分から離れず、本当の友となってくれることが深く理解できたのです。
彼の心の重荷は取り払われました。
まだまだ完全とは言えませんが、以前よりもずっとやすらかな心で彼はいられるようになりました。
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恵みと祈の霊を求め、神と共に歩む一日を続けて参りましょう。
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