今日のみ言葉【No.1198】(2015年12月18日)
霊がわたしを引き上げて、内庭に導き入れると、見よ、主の栄光が宮に満ちた。
(エゼキエル43:5)
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宝くじを買う人に、
「滅多に当たらないでしょう?」
と水を差すような言葉を持ちかけると、必ず言われるのが
「夢を買っているのです」
という言葉です。
当選番号の発表の日までに、もし1等が当たったら、あれを買おう、あの人にこれを買ってあげよう、どこそこに旅行に行こう…、等々、夢を見られるというわけです。
もし外れたとしても、購入金額の約半分は発売元の都道府県の収入となるので、その土地の発展に寄与したのだ、と自分に言い聞かせればある程度納得できることでしょう。
宝くじに払ったお金が何倍にも増えて戻ってくる確率はゼロに近いのですが、神の栄光が戻ってくる確率は100%だというのが今日の聖句です。
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第11章で離れた主の栄光が、第43章で戻ってくる幻をエゼキエルは見ます。
かつて主の栄光はエルサレムを離れました。
数百年に渡る人々の罪が積み重なり、悔い改めを促した預言者たちを無視した国の結末です。
そしてバビロン捕囚。
それは神の裁きでした。
しかし異国の地で民は心を入れ替え、新たな民となります。
エルサレムに再び神殿が建てられ、人々が真心から神を礼拝し、主の栄光が満ちる未来の姿が描かれているのが第43章です。
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歴史的には、ソロモン王が建てた神殿が最初で、それがエゼキエルの時代、バビロニア軍によって破壊されます。
バビロン捕囚から帰って来た民が再び神殿を建て、イエス様が地上に生きていた時代にそれが拡張されて存在していました。
しかし、この2番目の神殿はローマ帝国によって破壊され、2015年現在、「嘆きの壁」として知られる神殿の西側の壁だけが残されていて、あとはありません。
更に、黙示録の時代にはエルサレムに神殿が存在していることが預言されていますので、近い将来、3番目の神殿が建設されることでしょう。
ただし、これも反キリストなる人物によって乗っ取られ、破壊されます。
幾多の紆余曲折を経て、4番目の神殿において主の栄光が完全に満ち、エゼキエルの見た幻が完成します。
神がいないような嘆きの現実を私たちは目に止めますが、最終的に神の預言は100%実現します。
宝くじなど及びもつかないほどの神の約束が私たちには与えられているのです。
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このような歴史を見ていくと、一時的な結果で物事を判断してはいけないことを学びます。
神の恵みを得て神殿を建設できても、罪によって破壊され、悔い改めて再建しても、また壊れ…、という現実の中で私たちは生かされているのです。
ですから、
「主の栄光が宮に満ちた」
(エゼキエル43:5)
という最終的な勝利を描き、信仰をもって生きるということは、具体的には、神の御前に恥じない生き方をすることです。
幼な子イエスが両親に抱かれて宮詣でをした際、聖霊に示された老人シメオンが
「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。」
(ルカ2:34)
と預言したように、イエス・キリストをどう思い、この方をどう判断するかによって、人は立ち上がりもし、倒れもするのです。
目の前の結果は、時代の価値観や様々な条件によっていかようにでも変化します。
救い主キリストの前に恥じない生き方をするように努めること。
その生き方に、主の栄光が輝きます。
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自分は神の御前で生かされているのだ、という思いで今日一日も歩んで参りましょう。
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