今日のみ言葉【No.353】(2012年 7月17日)
感謝してこれをさき、そして言われた、「これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい」。
(第1コリント11:24)
——————
暮れの風物詩とも言える、競馬の「有馬記念」レースは、日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧の名前をとったレースです。
有馬は、当時どの国も採用していなかった「ファン投票による出走馬の選出」を提唱し、これが大当たりしました。
しかし残念なことに、第1回のレース後まもなく彼は亡くなってしまいます。
競馬界での有馬の功績を讃え、このレースにはどんな意味があるのか、ということを後世に伝えるために、「有馬記念」というレース名になったのだそうです。
「記念」ということには、何かを覚え、伝え続けていく、という意味が込められています。
-*-*-*-*-*-*-
今日の聖句は、当時行われていた「主の晩餐」です。
ここから現在の「聖餐式」が始まりました。
一般の方が聖餐式を見ると、パンとぶどう酒をいただく式、とだけ見えることでしょう。
しかし単なる飲食ではなく、パンはキリストが裂かれた肉体を、そして、ぶどう酒(現在の日本ではぶどうジュース)は流された血を象徴します。
パンとぶどう酒をいただくことによって、私の罪のためにキリストは十字架上で肉を裂かれ、血を流し、そのおかげで救われていることを思い起こすのです。
-*-*-*-*-*-*-
しかし当時のコリント教会では、その意識は置き去りにされ、富む者のパーティーとなってしまいました。
酔い潰れる者がいる一方、貧しい人は会堂の隅で飢えていたり、という散々な状況でした。
コリントの教会へ手紙を書いたパウロは、彼らに警告を発し、
「わたしを記念するため」
というイエス様の言葉を思い起こさせています。
-*-*-*-*-*-*-
イエス様を記念するパンとぶどう酒とは、私のために死んでくれた方の遺品のようなものです。
その遺品を見る度に、思い出に浸り、受けた恩を思い返し、初心に帰っていける…、それが聖餐式の意図するところなのです。
人生、順調に進んでいると、「自分の力でこうなった」と人間は思い込みやすいものです。
しかし、あなたの周りの人々を見る時に、その人たちは本当に自分一人の努力で現在の境遇や地位を得たように見えるでしょうか?
答はおそらく「ノー」だと思います。
複数の方々の援助があり、あるいはあなたもその一人として陰ながら助け手となり、時にはその人に知らせずに危害が及ぶのを未然に防いであげたかも知れません。
人生の原点に帰ること、それが
「わたしを記念するため」
という聖餐式の意味であり、繰り返しこれを続けていく先に、人生の祝福の泉が湧き続けます。
-*-*-*-*-*-*-
私のために十字架で犠牲になられた…、という事実を思いめぐらす日として参りましょう。
-*-*-*-*-*-*-
※み言葉メールの自動登録と解除、バックナンバー
●空メールを送信して下さい。
・登録 reg@mikotoba.org
・解除 del@mikotoba.org
※注意
登録すると申込確認メールが自動送信されます。来ない場合は迷惑メール設定をご確認ください。そのままだと「今日のみ言葉メール」が受信できません。
●バックナンバー
https://mikotoba.org
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません