今日のみ言葉【No.1197】(2015年12月17日)
庭に面した北の室と、南の室とは、聖なる室であって、主に近く仕える祭司たちが、最も聖なるものを食べる場所である。
(エゼキエル42:13)
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宗教改革者マルチン・ルターは、「聖書のみ・信仰のみ・万人祭司」の3つを唱えました。
ですからプロテスタントの教会では、聖書のみを神の言葉とし、信仰だけで救われることを教えます。
3つ目の万人祭司というのは、特定少数の聖職者だけが神と人との間を結ぶのではなく、イエス様を信じた全ての者が祈りを通して神と交わり、神を伝えることができるということです。
今日の聖句では「最も聖なるものを食べる」ことが祭司の務めの重要事であることが述べられています。
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私たちが食べるべき聖なるものは、神の御言葉です。
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。み言葉は、わたしに喜びとなり、心の楽しみとなりました。」
(エレミヤ15:16)
聖書を勉強し、たくさん暗記し、知識偏重の頭でっかちになることではありません。
御言葉を「食べる」のです。
つまり、様々な矛盾が見える現実の生活の中で、聖書の言葉を通して光を見、本当に御言葉に従った時にさてどうなるかを体験してみることです。
あなたが本当に真実だと体験したものだけが相手に伝わります。
その祭司の役目をしたら、それだけで十分生きている価値があったというものです。
「わたしはみ言葉を与えられて、それを食べました。」
(エレミヤ15:16)
これがクリスチャン生活の勘所です。
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実は私は先週ギックリ腰になり、ここ数日間安静を保っていました。
と言うよりは、痛くて動けず、何もできなかったというのが実態です。
這うようにして整体院に行ったら、そこの先生から、
「あなたの場合は腕のここの凝りが原因です」
と痛む腰ではなく、腕をもまれました。
こんな痛みがあったのかと思うほどの痛みに雄叫びを上げ続けた1時間後、さすがにプロは違います。「あれ?」と思うほど、すっくと立てる私がいました。
そして、
「あなたの場合、不自然な姿勢、その結果としての無理な上半身の使い方。それが○○筋と△△筋を引っ張り、腰に負担がかかっているのです。正しい姿勢を保ち、散歩等の運動をしなさい」
とのアドバイスを受けました。
腰をさすったり湿布を貼ったりすることではなく、正しい姿勢と適度な運動が勘所でした。
霊的生活の勘所は御言葉を食べることです。
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まず今日のみ言葉をいただき、一日をスタートさせて参りましょう。
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