今日のみ言葉【No.1199】(2015年12月19日)
しかしザドクの子孫であるレビの祭司たち、すなわちイスラエルの人々が、わたしを捨てて迷った時に、わが聖所の務を守った者どもは、わたしに仕えるために近づき、脂肪と血とをわたしにささげるために、わたしの前に立てと、主なる神は言われる。
(エゼキエル44:15)
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芥川龍之介の名作「蜘蛛の糸」では、地獄に落とされたカンダタという人物が主人公です。
彼は極悪人でしたが、お釈迦様は彼が生前たった一つだけ善いことをしたのを覚えておられました。
それは一匹の蜘蛛を踏みつぶして殺そうとした時、ふと心を変えてその命を助けたことでした。
お釈迦様は一本の蜘蛛の糸をカンダタめがけて垂らし、極楽までの道のりを整えられました。
その後の展開は皆さんのご存知の通りです。
今日の聖句は、神はご自分に忠実に歩む者を決して忘れないことを語っています。
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イスラエル全体が堕落し、偶像礼拝に迷っていた時、それは祭司たちの中にも及び、結果的に彼らはふるいにかけられました。
偶像の方に協力したか、真の神を選んだかです。
ちょうどそれは第2次世界大戦の時代、国がキリスト教会に現人神(あらひとがみ)としての天皇を礼拝することを強要し、それに従った教会と、あくまでイエス・キリストの父なる神以外礼拝しない教会とに分かれたようなものです。
「ザドクの子孫であるレビの祭司たち」は「聖所の務を守った」ので、「わたしの前に立て」と、主なる神から言われました。
つまり、ザドクの子孫以外のレビ人の祭司たちは、神殿祭儀の重要な務めから外されるのです。
神は御自身に忠実な者をお忘れになることはなく、その人を用いられます。
「わたしの弟子であるという名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない」
(マタイ10:42)
芥川龍之介の小説はフィクションですが、神の約束はノンフィクションなのです。
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ある時教会に一人の男性がやって来て、
「この教会が本物か偽物か、ここを見れば分かる!」
と豪語して、男子トイレのドアを開け、何と小便器の蓋を素手でつかみ取りました。
そして、
「この裏が黄色に汚れていれば、結局この教会はその程度のものだ」
と言って、私に見せようとするのです。
実は男子トイレの掃除当番は女性スタッフがしていることを私は知っていました。
「女の人だから、そこまで手を付けているはずはないだろうなあ…」
と私はその男性からこき下ろされることを覚悟しました。
しかし、次の瞬間、
「あれ、きれいだ!」
というその人の驚く声。
彼も予想していなかったほどに、裏も表もピカピカに磨き上げられていたのです。
「う〜ん」と唸って、彼は帰って行きました。
私は「助かった〜!」と思って、そのことを担当の女性スタッフに話すと、喜ぶどころか、
「あら、当たり前でしょ」
と何事もなかったようにお答えになり、またご奉仕に戻って行かれました。
神の国は、人の目につかない、このような忠実な人によって支えられているのです。
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神はご自分の約束に忠実な御方です。
私たちも御前に忠実な生き方に磨きをかけ、今日一日も励んで参りましょう。
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