今日のみ言葉【No.1196】(2015年12月11日)

そして彼はわたしに、これは至聖所であると言った。
(エゼキエル41:4)

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日本の神社の構造は、遠く離れたイスラエル神殿と非常に似ているそうです。

もしかすると、シルクロードをたどって最終地の奈良にやってきたユダヤ人の影響があったのかもしれません。

興味深い古代ロマンです。

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エゼキエル書第41章で、エゼキエルは拝殿・本堂に連れて行かれます。

これは出エジプト後、荒野でモーセに示された幕屋と同じ聖所であり、その寸法の比率も同じです。

そして至聖所も見せられます。

至聖所とは、年に1度、大祭司だけが入ることができ、人間と神が会うことのできる唯一の場所でした。

2015年現在、エルサレム神殿のあった場所には金色の屋根の「岩のドーム」(イスラム教のモスク)が存在しています。

聖書の預言がどのような形で成就されるのかは分かりませんが、将来建設される神殿には至聖所があり、神と人間が自由に会うことのできる未来が約束されているのです。

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既に私たちはその恵みの一部に預かっています。

「イエスは声高く叫んで、ついに息をひきとられた。そのとき、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。」
(マルコ15:37-38)

人間と神とを隔てていた分厚い「幕」が、キリストの十字架上の死で裂け、境が取り払われたのです。

つまり、イエス・キリストが人の罪をすべて負ってくださったので、そのことを信じる者の罪の代償はすべて払い終わったこととなり、全く無罪の聖なる者として神の御前に出られるようになった、ということです。

信じた者にはその瞬間から神の聖霊が内に宿ります。

私たちは今、祈りを通して、いつでも神と交流することができる恵みを味わっています。

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神と祈りを通してコミュニケーションができる恵みを今日も味わって参りましょう。

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