今日のみ言葉【No.1148】(2015年10月 6日)

主があだをかえされたからだ。
(エレミヤ50:15)

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日本では車は道路の左側を走行しなければなリません。それが法律です。

ですから車のハンドルは右側にあり、右側が運転席です。

アメリカでは右側走行です。ですから車は左ハンドルで運転席は左側です。

アメリカで左側走行をしたら罰せられます。それがアメリカの法律だからです。

日本人の私がいくら正しいことをしているつもりでも、それは自分の国の決まりであって、外国にいればその国の法律と照らしあわせて判断されます。

世界は神の法律によって裁かれるのです。

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エレミヤ書第50章では、バビロンの滅亡が預言されています。

エレミヤの時代、バビロニア帝国が世界を征服していましたから、その強大な国が滅亡することなど到底考えられません。

しかし、アメリカと並んで超大国と言われ、覇権を争うほどに対立していたソビエト連邦という国は解体し、ロシアやウクライナ等の国々に分かれ、今は地図上に「ソ連」という表記がないことを私たちは知っています。

バビロンはその後ペルシャによって本当に滅ぼされました。

それを聖書は

「主があだをかえされたからだ。」
(エレミヤ50:15)

と語っています。

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バビロン滅亡の原因は、神に対する高ぶりです。

「主なる万軍の神は言われる、高ぶる者よ、見よ、わたしはおまえの敵となる、あなたの日、わたしがおまえを罰する時が来た。」
(エレミヤ50:30)

神はイスラエルの裁きのために、バビロンを神の道具として用いられました。

イスラエルの罰はバビロン捕囚で十分でした。

たとえて言えば、交通違反の反則金はその時に払ったのです。

ですからその後は普通の人としての取り扱いを受けるはずなのですが、バビロンでの生活ではそうでない部分がありました。

「われらをとりこにした者が、われらに歌を求めたからである。われらを苦しめる者が楽しみにしようと、『われらにシオンの歌を一つうたえ』と言った。」
(詩篇137:3)

バビロンの人々にとっては、「捕虜」となった者を見下して自分たちの自由にするのは当たり前に思えたのでしょうが、神の前ではこれは不当な抑圧であり虐待です。

つまり、自分を正しいものとすること、これが神の前での罪なのです。

バビロンはこれら無数の罪が高じて、神に対する大いなる傲慢、高ぶりという姿となって現れました。

歴史はこの後、急展開し、ペルシャ王クロスによってバビロニア帝国が滅ぼされ、そのクロス王の心が神によって動かされ、補囚の民は大手を振って故国へ帰還することができました。

主の御言葉は確かであり、力があります。

どんな国にいたとしても、世界は神の法律で裁かれることを心に刻んでいきたいものです。

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アメリカのロサンゼルスで、現地在住の方の車に乗せてもらった時のことです。

一時停止を怠ったその方が、警察の車に止められました。

観光気分の私は、

「やったー!これでみやげ話が一つ増えた!」

と内心ウキウキして事の成り行きを見守っていましたが、運転手は緊張した顔で小声でこう言いました。

「両膝に手を置いて、絶対に動かないでくださいね。」

バックミラーをちらりと見ると、後方からゆっくりと警察官が近づいてきます。

しかも、手は拳銃をいつでも取り出して撃てるように腰にあて、慎重にソロリソロリと歩み寄ってくるのです。

日本人的感覚で、車を降りて舌をペロリと出し、親愛の情を示すつもりで、

「いや〜、すいません。ちょっとうっかりしていたものですから。私は怪しい者ではありません。牧師で…」

などと上着のポケットから名刺を出そうなどとしたら、きっと

「Freeze! フリーズ!(動くな)」

とピストルを構えられ、撃たれてもおかしくないことになっていたでしょう。

ここは警察官の命令通りに動かなければなりません。

自分が良かれと思うことではなく、神の基準に合わせて生きるとはこのようなことなのです。

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自分の正しさと神の正しさ。

見極める知恵を与えてくださいと祈る一日として参りましょう。

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