今日のみ言葉【No.1147】(2015年10月 5日)
ボズラは驚きとなり、ののしりとなり、荒れ地となり、のろいとなる。
(エレミヤ49:13)
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ドイツのフォルクスワーゲン社の不正問題が全世界を揺り動かしています。
様々な報道によると、会社内部の技術者から疑問の声は上がっていました。
トヨタ自動車も、VW社のディーゼル車の排ガス性能に疑問があるとしてヨーロッパの規制当局に取り締まりを要請していたそうです。
いずれも数年間無視されていました。
そして何十年もかけて積み上げられたVW社の信用は一瞬にして崩れ去りました。
対岸の火事としてではなく、我が戒めとして見なければならない出来事です。
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エレミヤ書第49章は、イスラエル周辺の諸国への裁きと滅亡の預言です。
イスラエルをはじめ、彼らが何故滅びに至ったか、その理由は簡単です。
神から離れ、神に立ち返るようにとの警告を無視し、悔い改めなかったからです。
悔い改めて神の裁きを逃れた例はあるのでしょうか?
あります。それはニネベの町です。
彼らはヨナの宣教によって悔い改めました。
「神は彼らのなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。」
(ヨナ3:10)
神の論理は単純なのです。
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神の方向へ向かう時、ニネベのようにそこに命の道が開かれます。
しかし、イスラエルのようにバビロン捕囚という神の裁きが下され、国が滅び、全く無に帰してしまった場合はどうなのでしょう?
もはや存在できないのでしょうか?
いいえ、イスラエルに対する神の裁きは、滅びのままで終わらせるのではなく、新たに民を生まれ変わらせるリセットのようなものでした。
悔い改めた民を、神は新たに用いて下さるのです。
ボズラの地も全く荒れ地となってしまいました。
しかし神はご自分の主権で自由にこの地をお用いになられます。
ある聖書学者たちは、キリストの再臨の時に主が最初に来られる場所がこのボズラであるという説を唱えています。
「このエドムから来る者、深紅の衣を着て、ボズラから来る者はだれか。その装いは、はなやかに、大いなる力をもって進み来る者はだれか」
(イザヤ63:1)
荒れ地となったような人生も、神に明け渡す時、神の栄光が輝く場所として用いられるのです。
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神の招く御声に従う一日として参りましょう。
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