今日のみ言葉【No.1105】(2015年 8月11日)

わが嘆きはいやしがたく、わが心はうちに悩む。
(エレミヤ8:18)

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私は二十歳の頃、よくバイクに乗っていました。

暑い夏の日、くねくねとカーブが続く涼しい山道を、ひらりひらりと走っていくのは爽快そのものです。

やがて、

「どこまで車体を倒せるか」

「あのカーブをどこまでスピードを出して曲がり切れるか」

ということに挑戦したくなります。

これは危険なので決して推奨しているわけではありません。

しかし若気の至りで、その欲望達成のために突っ走りました。

「やった!」
「次も!」
「よし、もっと!」

そして、ツルッと滑って、バイクは左に、私は右に空中を泳ぎ、派手に転んで痛い思いをし、ようやく怖さに目覚めます。

エンジンがかかることがありがたく感じられ、

「早く帰ろう」

と這う這うの体で坂をゆっくり下り、家に帰り着いて生きた心地がしたものです。

人間はどこかでぶつからないと分からないものなのだなあ、と実感した体験でした。

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エレミヤ書第8章では、滅びに向かって加速され、どんどんスピードが上がっていくイスラエルを止めることができない預言者エレミヤの嘆きが記されています。

何が正しいのかを記した律法を正しく解釈すべき人たちが、その解釈を曲げ、自分たちの行いを正当化しました。

「見よ、まことに書記の偽りの筆がこれを偽りにしたのだ。」
(エレミヤ8:8)

経済が最優先となり、王から庶民に至るまで、民の中に不正がはびこりました。

「彼らが小さい者から大きい者にいたるまで、みな不正な利をむさぼり、」
(エレミヤ8:10)

公衆道徳は衰退しました。

「すこしも恥ずかしいとは思わず、また恥じることを知らなかった。」
(エレミヤ8:12)

これらのことを指摘すればするほど、民は悔い改めるどころか、エレミヤを攻撃します。

エレミヤは終生、自分を責め続ける民との関係を切らず、神に立ち返れと呼びかけ続けました。

それゆえ、彼は涙を流して嘆き、民のために悩む時を過ごしました。

「わが嘆きはいやしがたく、わが心はうちに悩む。」
(エレミヤ8:18)

これがエレミヤを通して表される愛の神の姿です。

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私はある高校で2年間、英語の非常勤講師をしたことがあります。

進学校ではなかったので、受験や将来の仕事で英語を必要とする生徒は皆無でした。

当然、まじめに授業を受ける生徒はおらず、授業中はうるさいもの、皆勝手な事をしているもの、という状態になりました。

もちろん、その中にあって何とかしようと努力を重ねましたが、若手教師には力が足りません。

そんなことが続くと、ふと、こういう諦めの気持ちが起きてきます。

「授業の50分間分、給料分だけ働けばいいのだ」

「後で自分たちが痛い思いをすればいいのだ」

つまり、彼ら彼女らと関係を切って、楽になろうとするのです。

「仕事」と割りきり、教えるロボットになりきれば、関わり続ける中で生まれる悩みからは解放されます。

しかし、それで果たしていいのか?と葛藤しながら、毎回の授業に飛び込んでいったことは、私にとって人生の良き体験でした。

嘆き。それはその人との関係の有る無しで生じてくるものです。

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神は決してあなたと関係を切ることはありません。

もし、その神の嘆きが聞こえてきたら、即座に悔い改め、神の赦しを求めましょう。

神との正しい関係の中を歩む一日となりますように…。

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