今日のみ言葉【No.1103】(2015年 8月 8日)

あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。
(エレミヤ6:16)

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理性的でない人の特徴の一つは、芸能人の熱愛報道を誰かにすぐ教えることです。

「○○君と△△さんの密会現場がキャッチされたんだって!」

一方、理性的な人は、同じ情報に触れても、「本当か?」と必ず裏を取ります。

本人のブログを読み、所属の芸能事務所の反応を調べます。

何よりも、その情報の発信源となっている人や会社の過去の傾向をチェックし、しかる後に自分で判断を下します。

何でも鵜呑みにせず、自分の頭で考えること。

これが噂に振り回されないための、地味ながら確実なやり方です。

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エレミヤの時代も、様々な噂やメッセージが飛び交いました。

第6章の時代は、大国アッスリヤの衰退が目立ち始め、南ユダ王国のヨシヤ王の善政の下、イスラエルの民は以前より安定した生活をすることができていました。

当然、「平安、平安」という声が高らかに聞こえます。

そのまっただ中で、エレミヤだけが、

「わたしが手を伸ばして、この地に住む者を撃つ」
(エレミヤ6:12)

と神の裁きが下されることを訴えます。

その理由は、

「それは彼らが、小さい者から大きい者まで、みな不正な利をむさぼり、また預言者から祭司にいたるまで、みな偽りを行っているからだ。」
(エレミヤ6:13)

というものだったからです。

神の前での個々人の生き方が不正であり、しかも、その生活を改めよとの進言を無視し、自分の利を得る方向にのみ走る民の姿です。

エレミヤは客観的に当時の社会状況を分析しました。

神はこのエレミヤを通して裁きの預言を語られたのです。

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裁きを下す神は、同時に救いの道をも語ります。

それが今日の聖句です。

「あなたがたはわかれ道に立って、よく見、いにしえの道につき、良い道がどれかを尋ねて、その道に歩み、そしてあなたがたの魂のために、安息を得よ。」
(エレミヤ6:16)

わかれ道には複数の選択があります。

ここは直感で選んではいけません。どれがどういう道なのか、よく見て、自分で判断しなければなりません。

その中で、一本だけある「いにしえの道」を選べ、と神はおっしゃいます。

それは、かつてイスラエルを導いたモーセを通して神が与えた律法です。

いたずらに新しい方法を試してみるのではなく、「いにしえの道」こそ選ぶべき道であり、それこそが「良い道」なのです。

私たちが取るべき道は、聖書に記された御言葉の道です。

そこに神の御心を尋ね求め、御心と信じる道を選択し、その道に歩むのです。

すると、その先には魂の安息があります。

誰かに言われなくても、内から自然に湧いてくる平安こそ御心の道を歩んでいることの保証です。

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人生には2つの大きな選択があります。それは結婚と就職です。

A子さんも結婚という選択のわかれ道にやって来ました。

まず、結婚するかしないか、するにしてもこの人でいいのか、その先の生活は…。

考えに考え、悩みに悩み、祈りに祈った上、

「神よ、わたしの心は定まりました。わたしの心は定まりました。わたしは歌い、かつほめたたえます。」
(詩篇57:7)

の御言葉が彼女の心をとらえ、「一応」心に平安がやって来ました。

しかしまだグラリグラリとしているのが本当のところでした。

自分の心ながら、自分の力ではどうすることもできない…。

ここに至って、人は初めて、神にゆだねるとはどういうことかを学びます。

「ゆだねられない」自分なので、

「ゆだねるしかありません」
「おゆだね致します」

という祈りの言葉を発するのです。

するとどうでしょう、その日の祈祷会で、牧師がこの同じ御言葉を取り上げたのです。

牧師は彼女の心の内も何も知らず、ただ神様から与えられた御言葉をもってメッセージをされたのです。

その瞬間、A子さんの心は本当に定まりました。

「神様は私のことを知っておられる」

心に平安がどっと流れてきました。

彼女は、これは神が与えた結婚であるという確信を得て、進んでいくことができたのです。

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御心を聖書の内に尋ね求め、神の与える平安をいただいて参りましょう。

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