今日のみ言葉【No.1104】(2015年 8月10日)
わたしはあなたの求めを聞かない。
(エレミヤ7:16)
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アメリカで生活すれば、当然英語を話すことになりますが、私は2つのタイプの日本人を目にしました。
1つ目は、日本でたっぷり英語を勉強してきたはずなのに、英語をあまり話さない人たちです。
2つ目は、多分学校の英語の時間は居眠りしていただろうなあ、と思わせる方々。ところが彼らこそペラペラ英語をしゃべっています。
何が違うのか観察していると、どうやら内にあるものが違うようです。
自分のものにしたいことがある、それには何とかして自分の思いを伝えなくては、という強烈な動機がある人は、単語や文法に関係なく英語というものを1つの道具として使い、願望を達成しようとします。
片やそういう強い思いがない人は、苦労してまで話そうとはしません。
自分の中に確たる自分を構築すること。
これが英語だろうが何だろうが、外に「求め」となって出てくるためのエンジンとなるようです。
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ところが、今日の聖句は、そのように求めてくる人たちに対して、あまりにも冷たい言葉です。
「わたしはあなたの求めを聞かない。」
(エレミヤ7:16)
しかし新約聖書で、イエス・キリストは次のように語っておられます。
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」
(マタイ7:7)
「あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう。」
(ヨハネ16:23)
何という違いでしょう!
基本的に、神は人の求めに答えようとされます。いえ、応えたくてしょうがないのです。
それほど人間の応答を求め、共に事をなしていきたいと願う愛にあふれる神なのです。
しかしその神から求めを遮断されるということは、イエスラエルの民の側に、それに相当する原因があったのです。
第7章をお読みになれば、その目を覆うばかりのひどさにお気づきになられることでしょう。
神がしばしば沈黙され、人の求めを断る時は、人間側の軌道修正を求めておられるのです。
それは、
「おまえは悪い人間だ。ダメなやつだ!」
と責めることを目的としているのではなく、
「あなたがたの道とあなたがたの行いを改めるならば、わたしはあなたがたをこの所に住まわせる。」
(エレミヤ7:3)
と、すぐにでも共に歩くための愛に裏打ちされた強い態度なのです。
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さて、私はこのような経験があるので、我が子に小さい時から英語を習わせることはさせませんでした。
それよりは、自分は何をしたいのかをはっきりさせること、そして、内にある思いはどんな思いでも価値のあるものだ、と思ってもらえるような子育てを心がけてきました。
それが核となって、必要なら英語でも何語でも使うようになるはずだ…、と考えたからです。
しかし私の本音としては…、教えてやりたかったのです(^^;。
宣教師の通訳もさせていただき、TOEFLの点数でもアメリカの大学院レベルをクリアし、海外生活の実際体験もあるのですから、もし子どもが親の私に
「英語を習ってみたい」
と言ったら、それこそ惜しみなく協力したことでしょう。
私はその点で、
「わたしはあなたの求めを聞かない!」
と言いながら、実は求めに答えてやりたくてたまらず、じっとこらえている「父なる神」ならぬ「オヤジなる神」の気持ちがよくよく理解できそうな気がします。
さて、結果的に、娘は自分で勉強し、親に頼ることはありませんでした。
最近は、
「親の言うことに従うつもりはない」
と言ってのけます。
私はこれを聞いてとても嬉しい思いがして、思わずこう言いました。
「あなたが親の機嫌を取ろうともせず、はっきり自分の思いをパパに伝えられること。そういう親子関係でいられることをパパは幸せに思うよ。」
こうやって神の愛の中を歩める幸せを味わわせていただいています。
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周りが敵ばかりで、神さえも敵に見えるときでも、神の本質は愛です。
その神に信頼する方向へと、今日の人生の舵を取って参りましょう。
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