今日のみ言葉【No.908】(2014年10月 7日)
しかし神はあわれみに富まれるので、彼らの不義をゆるして滅ぼさず、しばしばその怒りをおさえて、その憤りをことごとくふり起されなかった。
(詩篇78:38)
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毒舌芸人として再ブレイクし、今や押しも押されもせぬ実力派芸人として活躍中の有吉弘行さん。
相手の機嫌を損ねそうなNGギリギリのラインまで毒舌を吐いてはいますが、よく見ると彼は周りの人から愛されています。
その秘密は以下の4点です。
(1)笑顔
(2)義理人情に厚い
(3)礼儀を重んじる
(4)相手のためを思った言葉
笑顔で毒舌を言うと相手が受けるショックを減らせるのだそうです。
また、全く仕事のないどん底生活を経験したお陰で、一番苦労する末端のスタッフに対する心配りが他に類を見ないほど手厚いのです。
このような表には見えない努力をしているからこそ有吉さんを支えたくなる人が出ているのでしょう。
さて、人間が神に愛されるにはどうしたらいいのでしょうか?
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詩篇第78篇にはイスラエルの歴史と、そこに介入される神の姿が描かれています。
特徴は「しかし」と「ところが」の繰り返しです。
「ところが彼らはなお神にむかって罪をかさね、」
(詩篇78:17)
「しかし神は上なる大空に命じて天の戸を開き、」
(詩篇78:23)
「しかし彼らはその口をもって神にへつらい、」
(詩篇78:36)
「しかし神はあわれみに富まれるので、彼らの不義をゆるして滅ぼさず、」
(詩篇78:38)
人間の側の罪とそれに対する神の赦し。
その神の恵みを忘れ、過去から何も学ばず、再び罪を犯して神を軽んずる生活をするイスラエルに対し、罰を下しながらあわれみをもって臨まれる神。
「ところが」という逆接の接続詞で反逆する民に対し、神も「しかし」という同じ接続詞で愛をもって報います。
この反逆し学ばないイスラエルに対し、時に厳しく、そして根底には深い愛をもって関わり続けられるのが神の姿なのです。
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これはイスラエルだけでなく全人類に対しても同じです。
「しかし神はあわれみに富まれるので、彼らの不義をゆるして滅ぼさず、しばしばその怒りをおさえて、その憤りをことごとくふり起されなかった。」
(詩篇78:38)
という旧約時代にイスラエルに向けて表された愛を、新約時代はイエス・キリストの十字架によって完全に表されました。
すなわち、自分自身も古代イスラエル同様「ところが」を繰り返す者、つまり罪人であること。
しかしその罪のために神がキリストを世に遣わし、人の罪の身代わりとして下さったこと。
それを信じることで人間は莫大な罪の支払いを免除され、罪の刑罰から逃れられ、永遠の命が与えられ、天の祝福の中を歩むことができます。
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今を生きる私たちには、キリストの十字架を通して神の愛が注がれています。
何度も過ちを犯してしまうと、自分でも自分自身に愛想がつきたり、心挫けてしまうかもしれません。
しかし、その私たちを見捨てず、命を投げ打って救いの道を開いてくださったイエス・キリスト。
その十字架の愛で神から無条件に愛されていることを知る時、私たちは今一度歩み直す力を得ていくのです。
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投げ出したくなる自分をキリストの十字架が支え、受け止めていて下さいます。
自分を責めずに、神の愛を存分に受け取る一日として参りましょう。
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