今日のみ言葉【No.1092】(2015年 7月22日)

主の恵みの年
(イザヤ61:2)

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四十九日というと日本人には特別の感覚があります。

遺族にとっては気持ちが一区切りつき、翌日の五十日目からは新たな気持ちで前に進んでいこうという思いにさせられます。

聖書に四十九日はありませんが、7は完全数なので、7×7=49は完全の上に完全という意味があります。

そこで50日目は五旬節(ペンテコステ)となり、特別な意味を持ちます。

特に50年に一度、「ヨベルの年」と言われる解放の年が定められています(レビ記25章)。

この年には、奴隷は解放され、借金は全て帳消しとなり、担保とされていた土地は元の所有者に返還されます。

現代に生きる我々の常識からすれば夢のような話ですが、旧約の律法は富が少数の者に集中することを防ぎ、定期的に富の再分配が行われ、社会的平等が保たれていたのです。

まさに「主の恵みの年」です。

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今日の聖句は、ルカによる福音書第4章16節以降でイエス様が引用された個所です。

「主なる神の霊がわたしに臨んだ。これは主がわたしに油を注いで、貧しい者に福音を宣べ伝えることをゆだね、わたしをつかわして心のいためる者をいやし、捕われ人に放免を告げ、縛られている者に解放を告げ、」
(イザヤ61:1)

イザヤ書のこの個所を読み終えた後、

「会堂にいるみんなの者の目がイエスに注がれた」
(ルカ4:20)

とあります。

そしてこう語られました。

「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」
(ルカ4:21)

つまり、ローマ帝国の支配からイスラエルが政治的に解放される意味ではなく、一人一人の人間の魂が縛りから解放される時が来た、という宣言なのです。

その意味でのヨベルの年、主の恵みの年が始まったのです。

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イエス・キリストがもたらす恵みは、罪の赦しです。

新約聖書が語る恵みとは、キリストが十字架につかれ、あなたの身代わりとして罪の刑罰を全て受けて下さったということです。

ですから、ヨベルの年のように、罪の奴隷から解放され、罪の借金は全て帳消しとなり、罪責感から来る心の縛りから解放されます。

そうすると、

「私はあんなことをしてしまったのだから、幸せになる価値も資格もない…」

と自分で自分を罰して生きる必要はもうなくなります。

「主の恵みの年」を生きる人生とは、

「私は幸せになって良い」

と事あるごとに確認しながら生きていく人生なのです。

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すでにヨベルの年、主の恵みの年は来ているのです。

神の恵みを味わう人生を今日も生きて参りましょう。

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