今日のみ言葉【No.1093】(2015年 7月23日)

エルサレムよ、わたしはあなたの城壁の上に見張人をおいて、昼も夜もたえず、もだすことのないようにしよう。
(イザヤ62:6)

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アメリカ発のカウンセリングで「頭上のオレンジ」という方法があります。

頭の上にオレンジが1個乗っていると想像して下さい。

そしてそのオレンジから周囲を見ている、と仮定します。

いつもより目線を一段上に持っていくようにするイメージです。

それだけです。

そうすると何が良いのかというと、視野が広がり、客観的に自分を捉えることができるようになり、物事を冷静に考えるきっかけがつかめます。

そして、自分にとって本当に必要なことは何か、あるいは自分が進みたい道が見えてくるのです。

聖書では、オレンジならぬ神ご自身があなたの上に見張り人となってくださることを語っています。

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イザヤ書第62章は、「神の助けなど来ないではないか」と訴える民に対して、「そんなことはない」と預言者イザヤが将来の幻を語った所です。

神は「見張人」を置いて、決してイスラエルを忘れることはない、と言うのです。

例として、エレミヤ書の第1章にこのような個所があります。

「主の言葉がまたわたしに臨んで言う、『エレミヤよ、あなたは何を見るか』。わたしは答えた、『あめんどうの枝を見ます』。主はわたしに言われた、『あなたの見たとおりだ。わたしは自分の言葉を行おうとして見張っているのだ』。」
(エレミヤ1:11-12)

あめんどうとはアーモンドのことで、花は日本の桜とそっくりです。

しかも桜と同様、葉が出る前に花が咲きます。それも一斉に。なおかつ、冬から春に変わる季節の最初の花なので、「目覚めの木」という別名があります。

つまり、他の木は葉が出て芽が膨らんで、それから花が咲きますから、

「ああそのうち花が咲くなあ」

とのんびりしていられますが、

桜やアーモンドの場合はそうはいきません。

「そろそろなんだけど…」

と、いつ咲くか、いつ咲くか、と目を離すことができません。

そのように、神はイスラエルを見守り、ご自分の言葉を実行に移す時を定めようとして、常に見張っているというのです。

「見よ、イスラエルを守る者はまどろむこともなく、眠ることもない。」
(詩篇121:4)

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私はある時、教会から逃げ出したことがあります。

自分の能力の無さをひしひしと感じ、

「これは道を誤った」「向いてなかったんだ」「あれは確信でなくて誤信だった」

としか思えなくなったのです。

東京に遊びに行って、思いっきり楽しい思いをしてから他の道を…、などという本音を牧師に話すことはできませんから、

「研修を兼ねた気分転換をし、リフレッシュしてからまた奉仕に励みたいと思います」

などと白々しい嘘をつき、まんまと脱出に成功しました。

大急ぎで乗った新幹線は満席で、ずっと立ったままでしたが、少しも苦にはなりません。

なぜなら、私の頭の中ではすでに都会のネオンがキラキラ光っていたからです。

ところが、その幻想を打ち破る出来事が起きました。

隣に座っていた小学生の男の子が、急に立ち上がったかと思うと、私のズボンに

「ゲー!」

と吐いたからです。

その子のお母さんと一緒に大急ぎで始末し、一段落した時、お母さんがこう言われました。

「教会の先生ですか?」

聞けば、そのお子さんが教会の日曜学校に行っており、お母さんはクリスチャンではなかったのですが、教会に毎週日曜、子供たち一緒に行っていたので、何となく同じ雰囲気を感じた、というのです。

私はその瞬間、

「神は新幹線の中まで追いかけてきた!」

と思い、ゾッとしました。

神と出会ってあれほどの絶望感を抱いたことは後にも先にもありません。

私は「見張りの神」に降参しました。

その時は恐れの神でしたが、それ以来、ずっと見守っていて下さる愛の神と共に歩ませていただいています。

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神はあなたを今日も見つめておられます。

その平安の中を歩ませていただく一日として参りましょう。

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