今日のみ言葉【No.1022】(2015年 4月13日)

朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない。実るのは、これであるか、あれであるか、あるいは二つともに良いのであるか、あなたは知らないからである。
(伝道の書11:6)

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そろそろホームセンターの花や野菜の苗売り場に行くのが楽しみになった方もおられるでしょう。

ビニールハウス内の極上の環境で育てられた苗でしょうから、それより過酷な我家の庭で育つかどうか心配です。

しかし植えてみなければわかりません。

枯れて残念な思いをするものもあるでしょうが、植えてみなければ収穫は望めません。

今日の聖句はその辺の消息を語っています。

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伝道の書第11章では、今までとは一転して、人に行動を起こすことを勧めています。

1章から10章まで散々「空しい」と言っておきながら、なぜあきらめることを勧めず、

「朝のうちに種をまけ、夕まで手を休めてはならない」

と、せっせと働けと言うのでしょうか?

人生の空しさを見極めた伝道者は、だからこそ神にゆだねることが人生の極意だという結論を得たからです。

「どうせやったってムダになる…」と見通せるので何もやらないという生き方があります。

一方、「ムダになるかならないかは神様に委ねて、その間は身体を動かして実が結ぶように生きる」という生き方もあります。

伝道の書では、後者のほうをおすすめする、ということです。

先のことはわからない、だから何もやらない、というのではなく、だから働く、という生き方を選択せよ、ということなのです。

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神にゆだねる生き方とは、投資したものを100%回収しようとしないことです。

むしろ、惜しみなく与えよ、と1節でこう語られています。

「あなたのパンを水の上に投げよ」

パンはやがて水にふやけて、池か沼か湖の底に沈んでしまうでしょう。

しかし、

「多くの日の後、あなたはそれを得るからである。」

と約束されています。

もしかするとそのパンを魚が食べ、成長し、やがて大漁となって、あなたに、あるいは全く関係のない人に生きる糧をもたらす、という未来が待っているかもしれません。

水の上にパンを投げたらすぐ魚が釣れるわけではないでしょう。

しかし、パンを水の上に投げ、それがむなしく沈んでいく情景を見た人でなければ味わうことのできない祝福が人生にはあるのです。

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生きることに望みを失った娘さんのために、あるお母さんが熱心に教会に通って来られました。

私は何度もそのお母さんを車で送迎したことを覚えています。

やがてそのお母さんも娘さんも洗礼を受け…、という筋書き通りのドラマは起こりませんでした。

いつしかお姿は見えなくなり、私の送迎の努力も教会スタッフの祈りもむなしく終わりました。

あれから30年。

教会主催のセミナーで、初めて来られた方にご挨拶していると、

「丸山先生とおっしゃるのですか?なんだか聞き覚えのあるお名前だなあ、と思って…。」

という主婦の方にお会いしました。

私は全く面識がありません。

「先生は以前米沢におられた…、では私の母を知っていますか?○○と言います。」

その瞬間、車で送迎したあのお母さんの顔が思い浮かんできました。

「あぁ、○○さんですね、覚えています。するとあなたはあの時の娘さん?!」

彼女はこっくりとうなづきました。

30年前、お母さんと一緒に車に乗っていた彼女は、本当に小さく丸く縮こまって、ずーっと下を向き通しで顔を上げることをしませんでした。

生きる力をなくしていた彼女は、その後結婚し、今は立派なお母さんとなり、そのお子さんが就職していて、なんとジョイフルチャーチの目と鼻の先に職場があるということがわかりました。

神様はこのようにして「水の上に投げたパン」を戻してくださるのだな、と神の御わざを賛美しました。

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今日一日、与えられたところで、全力で主のわざに励んで参りましょう。

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