今日のみ言葉【No.3701】(2025年 8月 6日)「第七の災害(2)」
しかし、あなたとあなたの家来たちは、なお、神なる主を恐れないことを、わたしは知っています」。
(出エジプト記9:30)
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権威の座を好む人ほど、神を恐れる心がないので、約束を平気で破ります。
一方、神を恐れる心を持っている人は、自分の思い通りに事が進まなくても、問題を神の手にゆだね、神ご自身の方法で解決されることを待ちます。
このような信仰の経験を積み重ねると、神を恐れぬ相手の心の動きまで読み取れるようになります。
モーセとパロは、そのどちらだったでしょう。
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雹の災いが起きた後、パロは自分の罪を認め、悔い改めます。
「わたしはこんどは罪を犯した。主は正しく、わたしと、わたしの民は悪い。主に祈願してください。この雷と雹はもうじゅうぶんです。わたしはあなたがたを去らせます。もはやとどまらなくてもよろしい」
(出エジプト記9:27-28)
しかし、それは一時的な悔い改めでした。
モーセは、
「地が主のものである」
(出エジプト記9:29)
と知っていました。
つまり、主なる神こそ全世界の支配者であることを知っていたのです。
そのような人は、主なる神の前で約束を守ります。
「わたしは町を出ると、すぐ、主にむかってわたしの手を伸べひろげます。すると雷はやみ、雹はもはや降らなくなり」
(出エジプト記9:29)
言ったことを翻して知らん顔をする人か、言ったことを忠実に実行する人か。
ここが人生の分かれ目です。
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神がすべてを統べ治めておられると信じ、どんなに自分にとって都合が悪くても、一度結んだ約束を神の前で果たす人は、神の力を経験的に知るようになります。
すると、自分の損得を基準にして世界を見る目から、全世界を支配する神の目へと視点が変わり、視界が広がります。
自分の世界からしか見えない狭い視野が、神の視点という広い世界的視野へと変えられていくのです。
そうすると、「損はしたくない」という心の縛りから解放され、自由な目で物事を見ることができるようになります。
その結果、
「ああ、この人は、今はこう言っているけど、やがて覆すだろう。それで私は苦労することになるのだなあ」
とわかり、逆にそれを神から与えられたものとして受け入れる余裕が生まれます。
もちろん、無駄な苦労をする必要はありませんが、人の心の動きが読めるようになるので、ストレス無く現実を受け入れられるようになるのです。
神の力を知る時に得られる、これは信仰による楽しみです。
モーセはこちら側でした。
ですから、
「 しかし、あなたとあなたの家来たちは、なお、神なる主を恐れないことを、わたしは知っています」
(出エジプト記9:30)
と言い、現実を受け入れつつ、次の事態に備える余裕を持って生きることができたのです。
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今日も神の力を知って、信仰の歩みを続けていきましょう。
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