今日のみ言葉【No.1766】(2018年 5月31日)「 キリスト教の絶対性(1)」

わたしを見た者は、父を見たのである。
(ヨハネ14:9)

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AKB48(えーけーびー、ふぉーてぃーえいと)

どこにでもいそうな平凡な感じの女の子のアイドルグループですが、実はメンバーは100人以上いて、交代で出演して毎回48名にしているのだそうです。

「会いに行けるアイドル」

これがAKB48だけにあって他にないコンセプトでした。

つまり、

「テレビやコンサートでしか見ることができない存在」

であった今までのアイドルから

「秋葉原の専用劇場(定員250名)や握手会に行けば実際に触れられる存在」

となったのです。

この「会いに行けるアイドル」という独自性・超差別化性が、AKB48を国民的アイドルにまで押し上げた大きな理由です。

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さて、キリスト教だけにあって他にはないものは何でしょう?

第1に、それはイエス・キリストの人格です。

キリスト教は教えや理論以上に、イエス・キリストの人格に触れることが重要です。

イエス様は弟子のピリポから

「主よ、わたしたちに父を示して下さい」
(ヨハネ14:8)

と、天の父なる神様のことを教えて下さいと求められた時、

「わたしを見た者は、父を見たのである」
(ヨハネ14:9)

とお答えになり、私というただひとつの人格を通して知りなさい、と語られました。

つまり、イエス・キリストの言葉と行いを通して、私たちはまことの神を知るのです。

そして、イエス・キリストを知れば、まことの人間の姿も知ることができます。

ですからイエス様は、

「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」
(ヨハネ14:6)

とおっしゃられたのです。

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三浦綾子作の小説『塩狩峠』の中に印象的シーンがあります。

金銭面での不祥事を起こした同僚が左遷され、主人公の長野政雄は彼と同じ職場に転勤を願い出ます。

何のためかというと、雪降る中を熱心に語っていたキリスト教の伝道者から、

「キリストの言葉を徹底的に行おうとすると自分の罪が分かる」

と言われたからです。

「汝の敵を愛せよ」

主人公はイエス・キリストの愛を実践しよう、善きサマリヤ人のように彼に接しようとしました。

ところが、愛しても愛しても同僚はそれに応えてくれません。

その反対に、彼は長野に反抗し、捨て鉢になっていきます。

とうとう主人公の長野は同僚に対して怒りを感じだします。

その時点で、自分は人のために命を捨てたキリストの愛など持っていない、と気づきます。

持っているのは

「ここまでやっているのにどうして分かってくれない!」

という怒りだけ。

たった一つの御言葉さえ実行できない自分こそ罪人である、と長野は悟ります。

そして、罪人のために自分の命を犠牲にするほどまでの神の愛、キリストの愛とは計り知れないほど大きいものだと悟るのです。

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聖書を通してキリストの人格に触れる最高の時を持つ今日として参りましょう。

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