今日のみ言葉【No.3646】(2025年 6月 2日)「生活の処方箋(233)『主はわたしの牧者』」
主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。
(詩篇23:1-3)
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多くの死に至る過程に立ち会った、エリザベス・キューブラー・ロス博士は、著書『死ぬ瞬間』で、
(1) 否認
(2) 怒り
(3) 取引
(4) 抑鬱
(5) 受容
の5段階を述べています。
これは死の過程だけでなく、諸状況における段階でもあるのではないでしょうか。
人は困難に直面すると、その現実を否定します。
しかし、その状況を受けとめなければならなくなると怒りとなり、「なぜ、私だけが」と思います。
さらに逃げられなくなると、取引(言い訳)をし、何かうまい方法はないかと考えます。
それら一切が断ち切られると、真に落ち込み、我力に別れを告げるのです。
「一粒の麦、地に落ちれば豊かな実を結ぶ」とあるように、最善をなしてくださる世界に身を任せると、受容でき、心の平安が来るようです。
人生は、この段階を確実に登り、繰り返す度に螺旋状に成長していく過程と思いますが、いかがですか。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
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詩篇第23篇は、多くの人が慰めと励ましを受ける箇所です。
「主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる」
(詩篇23:1-3)
そこには何の科学的理論もありません。
ただ
「主はわたしの牧者」
なので、
「わたしには乏しいことがない」
のです。
そこには論理的にそう言える根拠も何もありません。
しかし、あるのは「信頼」です。
この「信頼」という「串」が一本通っているところに、先の5つの段階が貫かれていると考えてみて下さい。
否認、怒り、取引、抑鬱、受容という5色の団子に、1本の串が通っているからこそ、それらを風味を感じながら食べられるのです。
神に全てを任せる信頼。
これが串です。
途中経過は様々ありますが、神への信頼があるところに、心の平安と、現実の受容の道があります。
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神に全てを委ねることで得られる平安をいただく今日として参りましょう。
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