今日のみ言葉【No.3641】(2025年 5月27日)「初臨と神の国(3)」
神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」。
(ルカ17:21)
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「あなた、本当にこのままでいいの?」
これは、ターゲットを絞らずに広く訴える広告の常套句です。
対象をあえて曖昧にすることで、これを目にしたすべての人に
「これは自分への言葉だ」
と感じさせようとしています。
イエス様の、
「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」
(ルカ17:21)
も、一見するとすべての人に語られているように思えるかもしれません。
しかし、誰に向かって語られているのかをはっきりさせると、より正確にその意味がつかめます。
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「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」
(ルカ17:21)
の「あなたがた」とは、今この文章を読んでいる「あなた」ではありません。
実は、この御言葉はあなたにダイレクトに適用してはいけない箇所なのです。
では、誰に向けて語られているのでしょう?
弟子でしょうか、群衆でしょうか?
正解は、
「神の国はいつ来るのかと、パリサイ人が尋ねたので、イエスは答えて言われた」
(ルカ17:20)
とありますから、パリサイ人です。
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さて、もし今日の聖句が、弟子たちに向けて語られていたとすると、
「そうだ、神の国は私たちの心の中にすでに始まっているのだ」
と理解してよいでしょう。
神の国は内面的・霊的な現実として、信じる人の心の中にあるという解釈です。
しかし、この言葉は、イエス様を拒んでいたパリサイ人たちに語られたものです。
彼らは、イエス様がメシアであることを否定し、神の言葉に信仰を示さなかった人々です。
そのような不信仰な者たちの心の中に、神の国があるなどとは言えません。
したがって、この文脈から、
「イエス様の言葉を聞いて、それを信じた人たちの心の中に神の国がある。つまり、神の支配は、領土という見える形ではなく、見えない心の領域で始まっているのだ」
という解釈を引き出すことには無理があります。
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実は、パリサイ人たちの問いである
「神の国はいつ来るのか」
(ルカ17:20)
は、カレンダー的な日時を問うているのではありません。
これは、イエス様に対する
「神の国は来ていないではないか。お前はメシアだと名乗っているが、それは偽りではないか」
という疑いと非難を含んだ問いであり、暗に攻撃していることなのです。
それに対して、イエス様が、
「神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ」
(ルカ17:21)
と語られたのは、彼らのただ中に立っているイエス様ご自身が、神の国の代表であり象徴であると言っているのです。
「神の国は来ていない」と否定するパリサイ人に対し、イエス様は「ここにいる私こそが、すでに来た神の国そのものである」と明確に主張されたということです。
これは、神の国が単に心の中で静かに始まるものというよりも、イエス様という実在を通して地上に現れたものであることを示しています。
この聖書箇所は、このような意味として解釈することが最も適当だと思われます。
そうすると、なぜこの後に再臨の話が続くのか、その理由がよくわかります。
キリストの再臨は、神の国が
「『見よ、ここにある』『あそこにある』」
(ルカ17:21)
と言える、神の国が到来した時のことだからです。
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「誰に語られているか」をまず明らかにして、聖書の意味をより正しくくみ取って参りましょう。
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