今日のみ言葉【No.2874】(2022年 8月 8日)「アブラハム契約の締結(5)」
アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。
(創世記15:6)
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「イエス・キリストを知らないで死んだ昔の人たちは全員地獄行きですか?」
というハードな質問を受ける時があります。
もしそうなら、アブラハムもモーセも旧約の預言者たちも全員救われていないことになります。
イエス・キリスト誕生以前の人たちはどうやって救いを得たのでしょう?
今日の箇所がその答えです。
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神はアブラムに祝福の契約を思い起こさせるために
「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい」
(創世記15:5)
と言われ、
「あなたの子孫はあのようになるでしょう」
(創世記15:5)
と子孫繁栄の約束を彼にイメージづけられました。
アブラムはこれに対してどう応答したでしょう?
彼は
「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」
(創世記15:6)
とあるように、神が言われた言葉をまるごと信じました。
彼が20歳の若者なら、信じやすかったでしょう。
しかし、この時のアブラムは、年が進み、また、自分は大丈夫でも、妻のサライは不妊の女でしたから、今後に楽観的展開を期待することは難しい状況にありました。
その上で、
「アブラムは主を信じた」
(創世記15:6)
のです。
ここにアブラムの神に対する信仰が明らかにされました。
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アブラムの信仰告白の次の
「主はこれを彼の義と認められた」
(創世記15:6)
というところがとても大事なところです。
クリスチャンは
「行いではなく、信仰によって救われる」
と言いますが、これは、信仰によって神の前で義と認められるからです。
アダムとエバ以来、人間には罪があり、神との間に断絶があります。
この罪を取り除くために、神の子イエス・キリストがご自分の命を人間の罪の代価として差し出されました。
人の罪の肩代わりをイエス様がしてくださったのです。
本来は人間が罪の刑罰を受けて、自分の罪の償いを果たさなければならないのですが、それをキリストが代わってしてくださったというのが聖書の主張です。
キリストは十字架で死に、3日後に復活されました。
復活とは、キリストの命で人類の罪の代価はすべて支払われたことを保証する神からの領収書のようなものです。
イエス・キリストの十字架の死と復活を、その通りにあったのだと信じる人は、神の前で「義」、つまり、罪なき正しい者と見なされます。
これが現代の「信仰による義」です。
アブラムの時代にはキリストの福音はまだありませんでした。
信じる内容は、時代の進行と共に異なりますが、
「アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた」
(創世記15:6)
とあるように、神への信仰によって義とされ、救われる原則は、聖書の中で一貫しています。
アブラムもまた「信仰による義」を得て、救われているのです。
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今、私たちに与えられている信仰を大事にし、神との間の関係が正しくされた者として今日も歩んで参りましょう。
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