今日のみ言葉【No.2042】(2019年 6月27日)「聖書の読み方(14)」
弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った。
(マルコ14:50)
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ある会社の朝礼でお話をして下さい、と頼まれ、数年間行ったことがあります。
そこはキリスト教とは縁のない一般の会社で、社長も従業員も全員クリスチャンではありません。
「なぜ教会の牧師の私に依頼を?」
と社長さんに尋ねると、
「私が話すのと牧師さんが話すのでは反応が違いますから」
とお答えになります。
社員のお一人に尋ねてみると、社長から、
「お客様には誠意を持って接しましょう」
と言われても、
「あんなこと言って、我々を働かせて、もっと儲けるつもりだな」
と思ってしまうのだと言われます。
しかし、全く立場の違う、第三者の私から言われると、
「本当にそうだ。今日もお客様のために働こう」
と思うのだそうです。
誰から言われるか、どの立場に自分を置くかで、同じメッセージが全く違って聞こえるのです。
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聖書を読む際にもこのことが効いてきます。
自分を上の立場に置くか下の立場に置くかで、あなたの心の中に入る聖書のメッセージが違ってきます。
ですから、聖書を読む際には、謙遜に読むということが大きなポイントになります。
聖書記事の中の優等生的人物の方ではなく、劣等生的人物の方に自分の身を置いて読んでみるのです。
今日の聖句の
「弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げ去った」
(マルコ14:50)
では、逃げずに十字架の道を選び取られたイエス様の立場に自分を置いて読むのではなく、神も真理も放り投げて、我が身可愛さで命からがら逃げ去った弟子たちの方に自分の身を置いて読むのです。
そう読んでみて下さい。
「何をやっているんだ。どんな時にも逃げずに十字架の道を選び取るのがクリスチャンだろう!」
という批判は出てきません。
むしろ
「恐かったんだよなぁ。いざという時、自分でも知らない自分が出てくるんだよなぁ。信じていると言っておきながら、実際はあやふやなもんだなぁ」
という思いが湧いてきます。
すると、こんな不確かな私が救われるためには、自分の決心や心の強さに頼っていてはダメだということが心底わかってきます。
そして、この私が救われるためには、自分以上の大きな力を持っている方から、本当に救ってもらわなければいけない、ということが聖書を通してひしひしと伝わってくるのです。
低い立場に身を置くと、万策尽きた自分を救うイエス様の愛が見えてきます。
あなたの信仰はそこからまた新たな出発をするのです。
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謙遜に聖書を読む一日として参りましょう。
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