今日のみ言葉【No.3625】(2025年 5月 8日)「神の放任」
しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、彼は民を去らせないであろう。
(出エジプト記4:21)
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今日の聖書箇所は、多くの方が長年疑問に思ってこられたところかもしれません。
聖書特有の表現を学んでいきましょう。
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神の前で心を定めたモーセに、主はこのように語られました。
「あなたがエジプトに帰ったとき、わたしがあなたの手に授けた不思議を、みなパロの前で行いなさい」
(出エジプト記4:21)
これは明確な命令であり、モーセがこれから果たすべき使命がはっきりと示されています。
ところが、次の言葉がよくわかりません。
「しかし、わたしが彼の心をかたくなにするので、彼は民を去らせないであろう」
(出エジプト記4:21)
神が「行いなさい」と命じたその一方で、神ご自身がパロの心をかたくなにし、民を去らせないようにされるというのです。
これは矛盾です。
一体どういうことなのでしょうか?
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新約聖書でイエス様が
「二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない」
(マタイ10:29)
と言われているように、聖書では、すべてのことにおいて神の御支配があり、神が第一原因となって始まると考えます。
パロの場合も、本来は彼が自分で自分の心をかたくなにしたのです。
しかし、聖書の表現では、それすらも神の主権の中にあることを示すために、
「わたしが彼の心をかたくなにする」
と表されるのです。
これは、神がパロの自由意思を尊重し、あえてそれを そのままにされた(放任された) ということを意味しています。
神はすべての人に自由を与えておられますから、神に従うことも、また、神の意志と反対のことをすることも可能です。
神はパロを自由にさせ、パロは自分の意志でモーセの言うことに聞き従わなかったのです。
ですから、
「わたしが彼の心をかたくなにする」
と言われていても、パロが神のロボットのように動いたのではありません。
従って、
「神がパロにそうさせたのだから、パロに責任はない」
という論理は通用しません。
神は、ご自身の力を一層認めさせるために、パロの心がかたくなになるのを、そのままにしておられたのです。
新約聖書で、使徒パウロはこのことを、
「そして、彼らは神を認めることを正しいとしなかったので、神は彼らを正しからぬ思いにわたし、なすべからざる事をなすに任せられた」
(ローマ1:28)
と述べています。
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「放任」という結末に向かうのか、それとも「自由」によって神に従う人生を選び取るのか。
その選択は、私たち一人ひとりに委ねられています。
神が与えてくださったチャンスを大切にし、今日も御言葉に従って歩む信仰生活を築いてまいりましょう。
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