今日のみ言葉【No.3624】(2025年 5月 7日)「ミデヤンからの出発」

モーセは手に神のつえを執った。
(出エジプト記4:20)
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宮本武蔵は、吉岡一門との決闘の前、京都・一乗寺の八大神社で必勝祈願をしようとしました。
後に剣聖と称された武蔵でも、命の危うさを前にして心が揺れたのです。
しかし、彼は
「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」
という思いに至り、結局、祈ることをせずにその場を立ち去ったというエピソードが残されています。
宮本武蔵は、自分の心の揺れを自分の内側で処理するという覚悟を決め、それを乗り越えたのです。
こうした武蔵の心境に共感を覚える人もおられるでしょう。
一方で、神の御前に立ち、自らの圧倒的無力さを実感したモーセは、神のつえを手に執ることで、揺れる心を静めました。
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モーセは遂に決心し、いよいよエジプトに神の使命を果たすために向かいます。
現代のような単身赴任ではなく、家族を連れて行くのですから、妻チッポラの父エテロにその旨を報告し、別れのあいさつをしに行きます。
「モーセは妻の父エテロのところに帰って彼に言った」
(出エジプト記4:18)
ところが、モーセはこの時、神との出会いのことは一切触れないのです。
彼が言った理由は、「親戚に会いに行くから」というものでした。
「どうかわたしを、エジプトにいる身うちの者のところに帰らせ、彼らがまだ生きながらえているか、どうかを見させてください」
(出エジプト記4:18)
なぜ彼は本当のことを言わなかったのでしょう。
それは、モーセの心にまだ迷いがあったからです。
「これは間違いなく神の御心だ」
と分かっていながらも、自分がその使命を果たせるかどうか、不安と恐れが残っていたのです。
心の揺れ。
これは人間から完全に取り去ることはできません。
しかし、神はそれをご存知です。
神はモーセを
「そんなことでどうする!」
と、たしなめたでしょうか。
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神はそれを見抜かれたようです。
「エジプトに帰って行きなさい。あなたの命を求めた人々はみな死んだ」
(出エジプト記4:19)
神はこのようにモーセに告げられ、彼を励まされました。
ここに至り、モーセはミデヤンの地を出発します。
「そこでモーセは妻と子供たちをとり、ろばに乗せて、エジプトの地に帰った」
(出エジプト記4:20)
彼が頼ることのできた唯一の確かなもの。
それは、燃える柴の中で神と出会ったあの体験でした。
その時の記憶が、彼の揺れる心を支えてくれたのです。
モーセは、その出会いの原点に立ち返るために、
「モーセは手に神のつえを執った」
(出エジプト記4:20)
のです。
そして、この「執った」は「取った」ではありません。
宮本武蔵とは別の種類の覚悟を示し、神から託された使命に自ら応答してその責任を担う覚悟を示す行為です。
だからこそ、「取った」ではなく「執った」が最もふさわしい訳となります。
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あなたの「神のつえ」を持って、今日も立っていきましょう。
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