今日のみ言葉【No.526】(2013年 3月14日)
その地のくだものを手に取って、われわれのところに持って下り、復命して言った、『われわれの神、主が賜わる地は良い地です』。
(申命記1:25)
——————
申命記の「申」は「再び述べる」という意味。「命」は命じることですから「律法」です。
申命記は約束の地に入る前に、神が命ぜられた律法をもう一度述べた書です。
-*-*-*-*-*-*-
実はイスラエルは、カナンの地に入る第1回目のチャンスを取り逃がしていました。
民数記13章を見ると、モーセが遣わした12人の偵察隊の内、ヨシュアとカレブ以外の10人はその土地に住む人々を恐れ、帰ってきてから否定的情報を流しました。
イスラエルの民は神が彼らになして下さった良きことをことごとく忘れ、エジプトにいた方が良かった、と叫びだしました。
そこで神はイスラエルの民を約束の地に入らせることをせず、その後38年間、荒野で生活させました。
その間、エジプトから脱出した人々は皆荒野で死に絶えました。
約束の地カナンに入れたのは、エジプトを知らない荒野で生まれた人々と、ヨシュアとカレブのみだったのです。
モーセは申命記の1章でそのことを思い出させ、再び同じ誤ちを繰り返してはならない、神を信頼して進みなさい、と語っているのです。
-*-*-*-*-*-*-
物事には肯定的側面と否定的側面があります。どちらも真実です。
そのどちらを選ぶかは私たちにかかっています。
そしてその選択が将来を決定するのです。
これにまつわる有名なお話です。
ある南の島に靴のセールスマンが2人やって来ました。
島の住民はみんな裸足です。
一人はその日のうちに会社にこう連絡しました。
「社長、ここは絶望的です。みんな裸足で誰も靴を履いていません。」
ところがもう一人はこう連絡したのです。
「社長、ここは大変有望なマーケットです。みんな裸足でまだ誰も靴を履いていません!」
-*-*-*-*-*-*-
今日の聖句のように、
『われわれの神、主が賜わる地は良い地です』
と宣言して歩もうではありませんか。
私たちが置かれた所で、うまく行かない面を探せば山ほどあります。
それに目をつぶって何もないかのように無視することを勧めているのではありません。
良い面を探し、そこを生かそうとする人を神は力づけ、前に進めて下さるのです。
人生のブレーキを必要以上にかけてはいらっしゃらないでしょうか?
ブレーキはアクセルを踏んでいるからこそ意味を持つのです。
神の助けを信じ、肯定的面に目を向け、アクセルを踏んで進んで参りましょう。
-*-*-*-*-*-*-
『われわれの神、主が賜わる地は良い地です』と口ずさむ一日として参りましょう。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません