今日のみ言葉【No.3575】(2025年 2月28日)「パリサイ人との対決(2)」

そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる。
(ルカ16:15)
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物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさや神とのつながりを大切にし、文字通り富を捨てたキリスト信者は、歴史的に多数存在します。
フランシスコ会を創設したアッシジのフランチェスコは、その一例です。
一方で、カトリックやプロテスタントなどの教派を問わず、神の名のもとに富と権勢を集めた教会も多く存在しました。
その結果、建築、絵画、音楽など、さまざまな文化・芸術の発展がもたらされ、さらに、貧しい人々や病人への救済活動を通じて、社会福祉にも教会は貢献しました。
富そのものは善でも悪でもありません。
両極端に分かれる信仰生活の正否を決めるのは、「心」なのです。
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パリサイ人の教えは人間的な考えであり、神から嫌われているとイエス様は教えました。
「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである。しかし、神はあなたがたの心をご存じである。人々の間で尊ばれるものは、神のみまえでは忌みきらわれる」
(ルカ16:15)
これは、パリサイ人の偽善を批判したイエス様の言葉です。
「人々の前で自分を正しいとする」とは、マタイによる福音書で実例が述べられています。
「だから、施しをする時には、偽善者たちが人にほめられるため会堂や町の中でするように、自分の前でラッパを吹きならすな。よく言っておくが、彼らはその報いを受けてしまっている」
(マタイ6:2)
パリサイ人は、施しをする時、それを知られないようにするどころか、人前で派手にやっていたのです。
なぜなら、
「経済的に豊かであるとは神から愛されていることであり、施しがこんなにできる自分は神の前で義とされ、正しい者だという証明である」
という彼らの神学があり、それに基づいて行動していたからです。
しかし、イエス様は、外見を飾って人々から尊敬を得ようとする彼らの内面を見抜いておられました。
それゆえ、
「神はあなたがたの心をご存じである」
(ルカ16:15)
と語られたのです。
「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」
(サムエル記上16:7)
とある通り、主は心を見られます。
これが神の判定基準です。
神の目の付け所は、金額の大小ではなく、その人の「心」なのです。
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外面の「成果」を気にするのではなく、内面の「動機」は何かと問うことが必要です。
神の視線と一致させながら、今日の行動を決めて参りましょう。
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