今日のみ言葉【No.3573】(2025年 2月26日)「ミデヤンへの逃亡(2)」

モーセは立ち上がって彼女たちを助け、
(出エジプト記2:17)
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人生のどん詰まりの時、どうすればいいか。
モーセの例から学べることは、彼は人助けを選択した ということです。
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エジプトからミデヤンの荒野に逃げ込み、なすすべもなく井戸のかたわらに座って休みを取っていたモーセ。
すると、井戸の水を求めて、ある集団がやってきました。
「さて、ミデヤンの祭司に七人の娘があった。彼女たちはきて水をくみ、水槽にみたして父の羊の群れに飲ませようとした」
(出エジプト記2:16)
女性たちだけで羊の群れを率い、井戸から水を汲んで飲ませようとして来たのです。
ところが、相手が弱いとみるや、力のある者が弱者を虐げようとします。
「羊飼たちがきて彼女らを追い払った」
(出エジプト記2:17)
着順を守らず、他の羊飼たちが彼女たちの順番が先であることを無視し、自分たちの羊の方に先に水を飲ませようとゴリ押ししてきたのです。
この場面は、世の中が常に強者が得をするように動くことを象徴しています。
正しい者が報われるのではなく、力のある者が優位に立つのです。
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モーセはこれを見てどうしたでしょうか?
まず、傍観者でいることが考えられます。
モーセは自分の失敗で心が疲れ切っていたはずです。
オアシスで休みを取っていたのですから、
「これ以上もめ事に巻き込まれたくない」
として、何も行動を起こさない可能性があります。
特にそのようにしておいても、彼は誰にとがめられるわけでもありませんから、このような心理が働きやすい状況にあったことでしょう。
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あるいは、無力感にとらわれて、彼は何もできなかった可能性があります。
エジプトで奴隷として虐待されていたヘブル人を助け、殺人を犯してしまい、さらに、助けたはずのヘブル人からその罪が暴かれたのですから、
「何をやっても無意味。結局こうなるのだ」
と、助けようとする気さえも起こさず、
「私はただの通りすがりです」
と、さらにミデヤンの荒野の奥に逃げていくことも想定できます。
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様々なケースが考えられますが、モーセがこの時選んだ選択は、
「モーセは立ち上がって彼女たちを助け、その羊の群れに水を飲ませた」
(出エジプト記2:17)
でした。
彼はエジプトでしていたのと同じように、虐待されている者を助けたのです。
しかし、ここで疑問が浮かびます。
「そんなことをしたら、またエジプトでの出来事と同じように、災いを招くのではないか?」
「モーセは学習能力がないのだろうか?」
事態はどうなっていくのでしょう?
以下、次回に続きます。
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人生のどん詰まりでどうするか。
今のうちから学んでおくようにしておきましょう。
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