今日のみ言葉【No.805】(2014年 4月17日)
わたしの望みはどこにあるか
(ヨブ記17:15)
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FEBCというキリスト教ラジオ放送局があります。
周波数1566kHzなので、昔のラジオで言うとつまみの一番右端辺り。
もう何も無いだろうと思う部分で突然電波をキャッチし、音声が出てくるので意外に思った経験のある方もいらっしゃるでしょう。
放送時間は夜9時半から10時45分まで。番組の最後に
「天にまします我らの父よ…」
で始まる「主の祈り」が流れます。
今はインターネットで24時間いつでも聞けるようになりました。
http://www.febcjp.com/
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主の祈りと共に教会でよく唱えられているのは
「我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。」
で始まる使徒信条です。
この中に、
「十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、」
という一節があります。
「陰府(よみ)」という愛の神とは縁のない死後の世界にキリストは下り、そこからよみがえられたという信仰の告白です。
ヨブ記にはこの福音の予表が見えます。
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ヨブは希望のない苦しみの中で死を願います。
神から来る苦難であれば、神とは縁のない陰府に住まいを移したい、という表現でそれを述べています。
ところが、やはりそこにも希望は見いだせないことを、
「わたしの望みはどこにあるか」
と嘆き、続く16節で、
「これは下って陰府の関門にいたり、われわれは共にちりに下るであろうか」
としめくくります。
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しかし私たち新約の時代に生きる者は、この
「陰府(よみ)にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり」
という復活のイエス・キリストを知っています。
この世にも死後の陰府にも希望はないと語ったヨブに対し、この世も陰府も歩かれ、死を征服し、その全てに対し勝利を得られた主イエス・キリストがおられるのです。
「あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている」
(ヨハネ16:33)
「死は勝利にのまれてしまった。死よ、おまえの勝利は、どこにあるのか。死よ、おまえのとげは、どこにあるのか」
(第1コリント15:55)
実にヨブの絶望は、キリストにあって希望と変えられるのです。
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受難週のこの時、キリスト共に苦難を耐え忍んでいる方もおられるでしょう。
復活の朝、その全てに勝利と意味が与えられたことを思い、新たな希望を持って今日の一日を歩んで参りましょう。
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