今日のみ言葉【No.3571】(2025年 2月15日)「生活の処方箋(208)『幸せへの鍵』」
イエスは彼にむかって言われた、「わたしに何をしてほしいのか」。その盲人は言った、「先生、見えるようになることです」。
(マルコ10:51)
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幸せへの大切な鍵は、過去を振り返ることでも、まだ来ない未来に不安を抱くことでもなく、
「与えられた今、この時が最高」
と、しっかりと心に語り聞かせることです。
今、この時に意識を注いだら、次は、
「自分が望んでいることは何か」
ということを明確にすることです。
私たちはつい抽象的に願います。
例えば期日でも、
「いつでも」
「できるだけ早く」
という言い方をします。
そうではなく
「5日の午後4時まで」
と、数値化することが大切です。
ひとたび目的が決まったら、あれこれと思い煩わず、調子が乗っても乗らなくても、その時は雨でも嵐でも、とにかくやり始める、その第一歩が大切です。
不思議なことに、嫌々始めたり、不調を感じながらもスタートしたことが、気がつくと軌道に乗っていたということがあるものです。
このように実践し、繰り返すと、頭で得た知識ではなく、あなたならではの知恵が大きな宝になることでしょう。
(※田中信生の『生活の処方箋』より)
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イエス様のところに盲人が来て、
「ダビデの子イエスよ、わたしをあわれんでください」
(マルコ10:47)
と叫び出しました。
あわれむといっても、具体的に彼は何をして欲しいと思っているのでしょう。
自分の生活を支えるだけの十分な経済的保証でしょうか?
一生食いっぱぐれがないくらいの食べ物でしょうか?
あるいは、自分を世話してくれる人がそばに付き添ってくれることでしょうか?
彼が真に求めているものはあるのですが、この段階では彼自身がそれを明確に意識しているとは言えません。
「あわれんでください」という抽象的言葉の底にある彼の真の願いを明確化するため、イエス様は彼にこう言われました。
「わたしに何をしてほしいのか」
(マルコ10:51)
そこで彼は真の願いを意識し、言葉に表せたのです。
「先生、見えるようになることです」
(マルコ10:51)
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私たちもこの盲人と同じような時を過ごすことがあります。
人生の岐路に立った時がそうです。
何か意の定まらない日々が続き、祈っても何をどう祈ったら良いか、先が全く見えません。
そんな時こそ、この盲人に語ったのと同じように、イエス様は私たちに問いかけておられることを覚えましょう。
「わたしに何をしてほしいのか」
(マルコ10:51)
この語りかけを意識し、祈りの中で、そして日常生活の折々で、
「私はイエス様に、何を、どう、して欲しいのだろう」
と自分自身に問いかけ続けるのです。
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それは、試着室の中で幾種類もの服の袖に手を通すようなものです。
着てみて、
「これかな」
と思うものもあり、また別の服を着ると、
「こっちかな」
と思うことの繰り返しです。
やがて、
「うん、これだ」
とピタリと決まるものが出てきます。
それが、
「先生、見えるようになることです」
(マルコ10:51)
ということなのです。
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幸せの鍵が見えるまでに目を凝らし、明確な願いを神に祈る今日として参りましょう。
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