今日のみ言葉【No.3528】(2024年12月17日)「父と二人の息子の話(父と兄編)(1)」
そこで彼は本心に立ちかえって
(ルカ15:17)
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あなたはどの立場からルカ15章のたとえ話を読んでいるでしょうか。
私たちは無意識のうちに誰かの立場に立って読んでいます。
「私もそうだった」
と弟息子のストーリーに共感して読む人もいます。
また、彼を哀れに思って読む父親側のタイプの人もいます。
弟息子に対して、
「なぜこんなことをするのだろう」
と批判しながら読む人は、兄側の立場で見ているのでしょう。
しかし、もしあなたが水戸黄門のテレビを好んで見るタイプなら、間違いなく律法学者・パリサイ人の立場で読んでいます。
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さて、弟息子は悔い改めてしまいました。
「本心に立ちかえって」(口語訳)
「我に返って」(新改訳、新共同訳)
ここで「悔い改めました」ではなく、「悔い改めてしまいました」と書いたのは、これが当時の常識を覆す展開だからです。
パリサイ人・律法学者にとってはとんでもない話です。
たびたび水戸黄門のたとえを出しますが、もし、黄門様が印籠を出した後、悪代官が罪を認め、命乞いをしたらどうでしょうか。
黄門様が、
「何?お前は自分の罪を認めて悔い改めるのか?」
と尋ね、元の悪代官が、
「私は今、目が覚めました。もう代官と呼ばれる資格はありません。どうぞこの百姓たちと同じ身分にしてください」
と言うとします。
黄門様が、
「赦す!お前は罪を認め、心が入れ替わった。元の代官として一生懸命励めよ」
と諭しつつ、その場を立ち去ったとしたら、翌週から視聴率はガタ落ちになり、スポンサーは離れ、番組は打ち切りとなるでしょう!
私たちはパリサイ人・律法学者と同じところにいるのです。
彼らの考え方は、
「罪人には救いを与えてはならない。罪人はその犯した罪の報いを受けなければならない」
というものだったからです。
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さて、弟息子は、自己中心的で思慮が足りず、その上思い上がった人間です。
反省を示していますが、それは一時的なものかもしれません。
少なくとも一か月は様子を見て、最終的に試験をして、それでようやくその悔い改めが本物かどうか判断できるのではないでしょうか。
父親はどうするのでしょうか。
以下、次回に続きます。
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本心に立ち返った弟息子のように、私たちも信仰の原点に立ち返る今日として参りましょう。
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