今日のみ言葉【No.3525】(2024年12月13日)「父と二人の息子の話(弟編)(5)」
そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。
(ルカ15:15-16)
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テレビ番組で勧善懲悪ものの代表は水戸黄門です。
最後に黄門様が印籠を出し、悪代官らを懲らしめるシーンを見て、
「やっぱりそうだ。こうでなければならない」
と、安心して布団に入る人もいらっしゃいます。
今日の聖句は、パリサイ人たちにとっての「めでたし、めでたし」の所です。
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父親からもらった財産を浪費して全部無くし、無一文になった弟息子に飢饉が襲ってきました。
彼は最悪の条件下で、自分の命をつなぐ生活をしなければなりません。
彼が得た仕事は「豚飼い」でした。
「そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた」
(ルカ15:15)
現代日本で養豚業に対する蔑視はありませんが、豚飼いは当時のユダヤ人が考える最悪の仕事でした。
レビ記第11章には、汚れた動物が列挙されていますが、豚もその内に含まれているからです。
「豚、これは、ひずめが分かれており、ひずめが全く切れているけれども、反芻することをしないから、あなたがたには汚れたものである」
(レビ記11:7)
さらに、彼が働く場は、現代で言うブラック企業でした。
「彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった」
(ルカ15:16)
弟息子は、異邦人に雇われ、不当な条件下で働かなければならなくなったのです。
これは親に逆らった罪の結果であり、弟息子は様々な祝福を失いました。
しかし、これこそ、パリサイ人が考える「めでたし、めでたし」だったのです。
彼らは、律法を厳格に守り、罪人を厳しく裁くことをよしとしていましたから、弟息子が父親の遺産を浪費し、このような悲惨な目に遭ったことは、神の公正な裁きだと信じて疑いません
もしパリサイ人にこの時点での感想を聞いたとしたら、
「これは当然の報いであり、正当な神の裁きである」
と笑顔を見せて答えることでしょう。
黄門様から「厳しいお沙汰がある」と悪人が言われるのを見て、私たちがスカッとした気分になるのと同じです。
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しかし、物語は、急転直下、パリサイ人らの満足を裏切り、意外な方向に進みます。
罪人の極みたる弟息子が、悔い改めるのです。
以下、次回に続きます。
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神の物語には、どんでん返しがつきものです。
最後の最後まで、神の愛と真実を信じて、信仰の生涯を全うしていきましょう。
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