今日のみ言葉(2011年6月17日)【No.89】
「見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、あなたがたはそれを知らないのか。
わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。」
(イザヤ43:19)
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私はよくインターネットで買い物をします。購入手続きをしてしばらくすると、「本日商
品を発送致しました」というメールが届きます。
「明日到着の予定だ。宅急便は大体午後に来るから、明日の午後は家にいた方がいいな」
と翌日の午後は家にいます。なぜなら、明日届くのが当然のことと思っているからです。
御言葉を信じて生きるとはこのようなことなのです。
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今日の聖句は、救い主(メシヤ)がイスラエルにやがて来るという預言です。
その時には、「とてもそんなことはできない。今までのことを考えても無理だ。」という
不可能が可能になる世界が始まるのです。それが「荒野に道を設け、さばくに川を流れさ
せる」という個所の意味です。
この御言葉を与えられて生きるとは、
「今日メールが来て、明日品物が届くと通知されたので、翌日は家にいる」
という行動を取ることと原理的には同じです。
「今日御言葉が与えられ、やがて不可能が可能になると通知されたので、その時に備えて
今を生きる」
ということです。
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現在の米沢興譲教会礼拝堂を建てる時のことです。
キリスト教建築では日本でも有名な設計事務所に依頼し、大方のところはうまく意見が合
いましたが、ただ一点、照明に関して調整が難航しました。
教会側:「これでは暗い」
設計側:「これが教会標準です」
教会側:「いやもっと明るく」
設計側:「この程度でないと教会とは言えません」
設計事務所側はヨーロッパの伝統的教会をイメージされていたのです。海外旅行でヨーロ
ッパに行かれた方はお分かりですが、あちらの教会の中は暗いのです。
しかし私たちはやがて間違いなく来る新しい時代をイメージしていました。
新しい時代には新しい人たちが新しい感覚で来る。教会が提供するものも、新しい人たち
が受け入れやすい新しい形でなければならない。
客観的数字を出して初めてわかったのは、設計側が出した明るさは300ルクス。しかし、
米沢興譲教会が求めているのは1500ルクスだったのです。実に5倍の開きがありました。
粘り強い交渉の結果、事務所側も面子を捨て、謙遜に教会側の要求を受け入れて下さいま
した。
そして当たり前のように今の礼拝堂があるのです。
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新しい時代には、神は不可能なところに新しい道を設けて下さいます。その道を歩むこと
を予定に入れ、今日、その備えをしていきましょう。
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