今日のみ言葉【No.3457】(2024年 9月20日)「招いた主人への教え(3)」
正しい人々の復活の際には、あなたは報いられるであろう」。
(ルカ14:13)
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クリスチャンの方の中で、天に宝を積むことに罪悪感を覚える人がいます。
天に宝を積むと言っても、それは天国に行った時に自分の利得を確保しておくための投資にすぎないのではないかと考えるのです。
「今、この地上で、立場の弱い人に良いことをしてあげ、恩を売って、それで天国での安泰と繁栄を得るのか?それでは純粋に人を愛することにはなっていない!」
と鋭い良心が叫びを上げるのです。
イエス様はこの点を解説しておられます。
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イエス様は神の国での報いを見て話しておられます。
なぜ返礼できない人に施すのか。
それは、
「正しい人々の復活の際には、あなたは報いられる」
(ルカ14:13)
からです。
正しい人々(義人)の復活とは何でしょうか?
良いことをした人だけが復活するのでしょうか?
実は正しい人々だけが復活するのではないと聖書は語っています。
罪人も復活します。
ただし、それは千年王国の後にある罪の裁きのためです(黙示録20:11-15)。
クリスチャンは罪がすでに赦されていますから、この罪の裁きの場にはいません。
正しい人々の復活は、千年王国よりも前、さらにその前の黙示録の大患難時代の前の携挙の時に起こります。
この時は旧約の人々はまだ復活していません。
ヨハネの黙示録の大患難時代の最終局面でイエス様が再臨なさいますが、彼らはその時に復活します。
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正しい人々とは、神の前で正しいと認められた人です。
では、良いことをしていれば復活できるのでしょうか。
そうではありません。
律法を守る行為によっては人は義とされないからです。
ですから、いくら「貧乏人、不具者、足なえ、盲人」を招いてごちそうしても、それで天国に行けるわけではないのです。
では、神が定めた義となる方法とは何でしょうか?
人はキリストの十字架と復活を信じる信仰によって義とされます。
善を行い、律法を守る行為ではなく、自分の罪がキリストの十字架によって贖われ、それは復活によって十分神を満足させるものであったことを信じる信仰によって「義」(正しい)者と認められるのです。
では、「貧乏人、不具者、足なえ、盲人」を招く行為は、やはり無意味に過ぎないのでしょうか?
以下、次回に続きます。
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信仰と行為について思いめぐらす一日として参りましょう。
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