今日のみ言葉【No.690】(2013年11月 7日)

彼は一生の間、たえず日々の分を王から賜わって、その食物とした。
(列王紀下25:30)

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全身の疲れがスッキリ取れる方法があります。

人間の体は、不満を抱えれば抱えるほど疲れをため込むように出来ているのだそうです。

ですから、たとえ今自分が満足に思っていなくとも、プラスの評価をすることがその秘訣です。

たとえば、朝目覚めた時、

「よく寝たー!」

と2回背伸びをするのです。

これだけで脳からドーパミンが分泌され、どんどん元気がみなぎってきます。

脳は思い込みに左右されやすい器官だからです。

食事の時はこのための絶好の機会です。

食前に「おいしそう!」

食べている間の「おいしい!」

食後は「おいしかった!」

この

「おいしそう!」
「おいしい!」
「おいしかった!」

男性なら

「うまそう!」
「うまい!」
「うまかった!」」

の3セットで心のときめきホルモンが分泌され、幸福感に満たされ、身体は疲労物質を一掃してくれるのです。

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さて、列王紀下の最終章で、人はどのような望みを持つことが出来たでしょうか?

バビロン補囚で異国の地に捕らえ移され、牢獄で暮らすことになったエホヤキン王には望みがなかったことでしょう。

バビロニアのネブカデネザル王はそのようにしましたが、次の王のエビルメロダクになった時、彼は釈放されるのです。

そして、

「ねんごろに彼を慰め、その位を彼と共にバビロンにいる王たちの位よりも高くした。」
(列王紀下)

とあるように、厚遇を施しました。

エホヤキン王の人生、一寸先は闇ではなく、一寸先は光だったのです。

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しかし、希望のかけらも見えない時にはどうしたらいいのでしょう?

その時は、

「彼は望み得ないのに、なおも望みつつ信じた。」
(ローマ4:18)

とあるように、アブラハムの信仰に習うことです。

「彼はこの神、すなわち、死人を生かし、無から有を呼び出される神を信じたのである。」
(ローマ4:17)

すなわち、自分の内には何の力もなく、周囲に助けとなる人がいない状況であっても、ただ天の一角は開いていると信じて生きる生き方です。

そこには現実的な確たる根拠は何もありません。

しかし、神の言葉がそう言っているので、

「あの天から必ず一条の光が差し込まれる…」

と信じて生きるのです。

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それはちょうど、目に見えない神の橋があると信じて渡るようなものです。

向こう岸へ渡るための橋はあります。

あると信じて一歩踏み出す者だけがその橋を渡ることが出来ます。

しかし、目に見えないので、何度も渡り損ねることでしょう。

ここか、と思ったところがそうではなく、ころんで痛い思いをすることがあるでしょう。

何度もそのような思いをする内に、やがて神の橋のあり場と渡り方のコツをつかんでいきます。

神は前向きな失敗を必ず益に変えて下さいます。

失敗や過ちや人に迷惑をかけることは人生では避けられません。

しかし、失敗をするなら、御心に沿った前向きな失敗をしたいものです。

神はそのような人を決して見離すことはないからです。

「わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない」
(ヘブル13:5)

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御心に沿ったチャレンジが出来る一日でありますように…。

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