今日のみ言葉【No.669】(2013年10月10日)

『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか
(列王紀下5:13)

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今日の聖書箇所は、聖書の中でも有名なナアマンのストーリーです。

「スリヤ王の軍勢の長ナアマンは、…、大勇士であったが、らい病をわずらっていた。」
(列王紀下5:1)

らい病は皮膚病ですから、顔や手など人目につく部分に発症すれば、否が応でも目立ちます。

軍勢の長として無敵の彼でしたが、どうしようもない悩みがあったのです。

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ところで、ナアマンがイスラエルから略奪してきた中に、名も無き一人の少女がいました。

彼女はナアマンの妻のはしためとして仕えることとなり、神とこの異邦人ナアマンを結びつける働きをします。

「その女主人にむかって、『ああ、御主人がサマリヤにいる預言者と共におられたらよかったでしょうに。彼はそのらい病をいやしたことでしょう』と言った」
(列王紀下5:3)

これがきっかけとなり、ナアマンは預言者エリシャのもとを訪ねます。

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ナアマンはドラマチックな奇跡的癒しを思い描きます。

「彼がきっとわたしのもとに出てきて立ち、その神、主の名を呼んで、その箇所の上に手を動かして、らい病をいやすのだろう」
(列王紀下5:11)

しかし、遠路はるばるやってきたスリヤの軍勢の長たる者に対して、エリシャは顔も見せず、使いの者に

「ヨルダンへ行って七たび身を洗いなさい」

とだけ告げさせます。

ナアマンは怒りました。

エリシャの態度を無礼と感じただけではありません。

ヨルダン川があまりにもみすぼらしかったことが大きな理由です。

ヨルダン川は細くて水も濁っている川です。

ナアマンの故郷のアバナ川とパルパル川の方が大きく、水がきれいで、きよめられるにはこちらの方が勝っていると感じたのでしょう。

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身をめぐらして帰ろうとするナアマンに対して、僕たちがこう言います。

「わが父よ、預言者があなたに、何か大きな事をせよと命じても、あなたはそれをなさらなかったでしょうか。まして彼はあなたに『身を洗って清くなれ』と言うだけではありませんか」
(列王紀下5:13)

ここが人生の勝負所です。

あまりにも些細なことなので見過ごされがちになるのが人生の分かれ道です。

しかし、後になって、

「ああ、あそこだったんだ」

と気づくのが人生の分岐点です。

「馬鹿にするな!」

と勢いに乗って国に帰ってしまうか、

「いや、ちょっと待てよ」

と一呼吸置いて考え直してみるか…。

ここで立ち止まれるか、はたまた惰性で動きに流されるか、その時の心が人生を決めます。

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立ち止まって考え直してみる力はどこから湧くのでしょうか?

それは、それまでに施された「従順」の訓練によります。

自分の思いでは右に行きたくても、左に行くように指示されたら、自分の思いを引っ込め、意に反して左に行く、という

「従う訓練」

を受けているかいないかです。

ヨシュアというリーダーが、かつて偉大な指導者モーセに従う良きフォロワーだったように、良きリーダーは、かつて必ず良きフォロワーだったのです。

ナアマンはエリシャの言葉の通りにヨルダン川で7度身を洗い、すっかりらい病が癒され、神を礼拝する者へと変えられました。

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立ち止まる力。

その力を養うためにも、神に従う一日として参りましょう。

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