今日のみ言葉【No.670】(2013年10月11日)

エリシャは言った、「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」。
(列王紀下6:16)

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米沢興譲教会で最初にグランドピアノを献品して下さった方は、クリスチャンではない方です。

一般の方なので、

「ピアノに、『○○氏寄贈』と文字を入れましょうか」

と牧師が配慮して言ったところ、

「いやいや、先生、そういうことをしないのが教会でしょう。」

と逆に言われてしまいました。

一見キリスト教とは縁のなさそうな、町の方々によって、教会は支えられてきました。

神様は見えないところに味方を備えて下さっているのです。

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スリヤの王がエリシャを捕らえようとして大軍をつかわし、夜の間に町を取り囲みました。

召使いは朝起きて、ビックリ。軍勢が馬と戦車をもって町を囲んでいたのを見たからです。

あわてて主人エリシャに報告した時の返答が今日の聖句です。

「恐れることはない。われわれと共にいる者は彼らと共にいる者よりも多いのだから」
(列王紀下6:16)

そして、

「主よ、どうぞ、彼の目を開いて見させてください」

とエリシャが祈ると、主なる神は召使いの若者の目を開いて下さいました。

すると、

「火の馬と火の戦車が山に満ちてエリシャのまわりにあった」
(列王紀下6:17)

という神の側の真実が見えたのです。

私たちの目に見えることだけが真実ではありません。

神は私たちが見えないところで、敵以上に強大な援軍をすでに送っていて下さるのです。

その見えない神に手を伸ばし、祝福が隠れていて見えない現実から祝福を引っ張り出せるのが信仰のわざです。

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山あいの沼のほとりでキャンプをした時のことです。

やんちゃな小学生の太郎君は、入ってはいけない沼に好奇心から入ってみたくなりました。

足が滑って、あっという間に、まるで引きずり込まれるように沼の中に落ちました。浅瀬と思っていたところが実は相当深かったのです。

ただならぬ音を聞いた一人の青年が駆けつけましたが、沼は濁っていて水の中は見えません。

「ここか?!」と濡れるのもかまわず、彼は腕をグッと深く沼の中に伸ばしました。

その時、水中の太郎君は心の中で

「神様!」

と叫んでいました。

そして、

「神様は天にいる。手を上に伸ばそう。」

ととっさに思いつき、足がつかない状態のまま、手を思いっきり上に伸ばしました。

水中で何も見えない太郎君が天に向かって伸ばした手。

地上で沼の中が何も見えないけれど伸ばした青年の手。

この2本の手が奇跡的にぶつかったのです。。

青年の手が太郎君の手をガッシリとつかみ、彼を引きずりあげました。

太郎君はこうやって助かったのです。

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神は味方を備えていて下さいます。

見えない神に手を伸ばし、神の備えられた祝福をいただく一日として参りましょう。

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