今日のみ言葉【No.512】(2013年 2月26日)
すべてきずのあるものはささげてはならない。それはあなたがたのために、受け入れられないからである。
(レビ記22:20)
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今年もバレンタインデイのチョコをいただきました。
お返しのホワイトデイも忘れるな、と宣伝する商魂たくましいお菓子業界の口車に乗るわけではありませんが、心からの贈り物に対しては心からの返礼をしたいと思います。
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今日の聖句は、神様への捧げものについての規定ですが、
「すべてきずのあるものはささげてはならない。」
とあります。
このような個所を読むと、神様があら探しをしているようで、教会に何も持って行けないと感じる人が出てきます。
人間には過酷すぎる律法ではないでしょうか?
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ここは私たちが持って行くもの、すなわち人間の側に焦点を当てるのではなく、神の側に焦点を当てて読むのが正しい読み方です。
人間は不完全ですが、神様は完全な方です。
ですから、傷のない完全ないけにえこそふさわしいのです。
賞味期限切れで捨てられるのをも待つばかりのお菓子を、
「どうせ誰も食べないんだし、もったいないし、ちょうどいいかも…。」
と、神の御前に持って行っても、それは恐るべき完全さと輝きを持った神様にはふさわしくないということなのです。
「人は外の顔かたちを見、主は心を見る」
(サムエル記上16:7)
とあるように、神様は私たちの心を見られるのです。
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あるおばあちゃんが、
「教会で新車を1台買って下さい。」
と、まとまった金額の献金をされました。
牧師は、新車1台より中古車を数台購入した方が教会全体の働きのために良かろうと思い、その旨をおばあちゃんに伝えました。
「はいはい、教会のためになるなら、それでもかまいませんよ。」
という返事を期待して行ったところ、
「○○先生、私は新車を捧げたいのです。中古車を買うというのなら献金致しません!」
と、あに図らんや、叱られてしまいました。
新車にこだわるおばあちゃんには、神様のために最高のものを捧げたい、という心があったのです。
献金の額や、どれほどやったかの量ではなく、神の御前での心が大事なのです。
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心を見られる神様に、私たちも心からのものを捧げて参りましょう。
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