今日のみ言葉【No.511】(2013年 2月25日)

わたしはあなたがたの神、主である。
(レビ記18:3)

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今日の聖句ではその前に、かつて住んでいたエジプトの国の習慣を見習ってはならない、と言われています。

また、これから入るカナンの国の習慣も見習ってはなりません。

古代イスラエルは次節のように生きることが求められていました。

「わたしのおきてを行い、わたしの定めを守り、それに歩まなければならない。」
(レビ記18:4)

一見して随分縛られた窮屈な生活を強いられているように感じます。

しかし、これはイスラエルが他民族の習慣に流されず、聖なるユニークな存在として生きよ、ということなのです。

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私たちはこの世に生きていると、流されることばかりです。

車を運転していると車の流れというものがあります。

都会から田舎に転勤すると、いつの間にか地元の言葉遣いとアクセントになっています。

日本にしか住んでいないと、私は日本人独特の考え方をしているのだ、とは思いもつきません。

私たちはこの世から影響を受けて暮らしているのです。

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時に圧力とさえ感じられ、流されそうになるこの世のプレッシャーをどう扱っていったらいいのでしょうか?

その答えが、

「わたしはあなたがたの神、主である。」

という今日の聖句です。

人の顔色が「主」になっていたり、経済の問題が「主」になっていたり、私たちは無意識にそのような「主人」に動かされているものです。

神以外のものが「主」になっていたら、神を主ととする生き方に方向転換しましょう。

あなたという家の「主人」は、あなた自身から神に変わりました。ですから、大きなことは全て神が裁量を下します。

あなたが表立って重い責任をウンウン言いながら負う必要はなくなります。

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ただし、今までの主人であった「人の顔色」や「お金」に動かされていたように、今度は神様に動かされるようになります。

神を主としたら、のんべんだらりと楽な生活を送れるかというと、そうでもないのです。

選手の上達を願うコーチが特訓を施し、子が正しく育つようにと親は厳しいしつけをするように、神様は私たちの成長を願い、次々と、休む間もなく課題を出し続けられます。

しかし、それは愛から出たことゆえに耐えられるのです。

神を主としていると、その陰にある「愛ゆえ」という意味が見えるので、時には自ら試練の中に飛び込んでいくこともできるでしょう。

神は聖い道を真っすぐに歩んでいけるように力づけて下さいます。

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「私は何を主として生きているだろう?」と問い直す一日として参りましょう。

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