今日のみ言葉【No.513】(2013年 2月27日)
わたしは命じて六年目に、あなたがたに祝福をくだし、三か年分の産物を実らせるであろう。
(レビ記25:21)
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人間が7日に1回休み(安息日)をとるように、神は地にも安息を与えるように命じられました。
6年間農作物をとった地は、7年目には何の耕作もせず、休ませなければならなかったのです。
民はこのことに不安を覚えました。
「七年目に種をまくことができず、また産物を集めることができないならば、わたしたちは何を食べようか」
(レビ記25:20)
神は民に信頼を与えるために、休みとなる前の年には3年分の産物を実らせると約束なさいました。
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このことはただ単に、神の不思議なわざ、として終わらせてはなりません。
この後にこう続くからです。
「地は永代には売ってはならない。地はわたしのものだからである。あなたがたはわたしと共にいる寄留者、また旅びとである。」
(レビ記25:23)
土地はこの世では登記して自分の所有となるにしても、本来の所有者は
「地はわたしのものだからである。」
と言われる神のものだということを覚えなければなりません。
そのことを具体的に知るために、7年目の土地の休みを神は命じられました。
そして、そのことによって、イスラエルは土地に縛られることがなくなりました。
世界を自由に行き来し、移り住むことができたのです。
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捧げることによって人は自由を得ます。
7日に1回安息日を守ることで、1日を神に捧げます。
本来なら時間の全ては神のものですから、全部の時間を神にお捧げしなければならないのですが、1日だけでよしとされたのです。
これによって、
「24時間、365日、全部自分の時間だと思っていたけど、そうじゃないんだ。」
と、時間をむさぼり、自分のためにならない時間の使い方はしないという狭い考え方から自然に抜け出せます。
クリスチャンが献金することもしかりです。
本来なら全て神から与えられているのですから、全収入を神にお返しして当然のところを、その気持ちの表れとして一部だけでよしとされているのです。
これによって、
「私が働いて稼いだお金なんだから、自分のために使って何が悪い。」
という考えから解放されます。
もともとは神のもの。それを使わせていただいている、という新しいお金の使い方へと導かれていきます。
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この神の恵みは信じて実行した者だけに与えられます。
ただしそれは、7年目の休みの年、食物が何もなく、飢えに耐え抜いた人だけが8年目にご褒美として与えられる…、というものではありません。
神は休みの年の前の年、
「三か年分の産物を実らせる」
と約束しておられます。
準備をしているから、その恵みに応答して7年目を休みなさい、と言っておられるのです。
何という至れり尽くせりの神でしょうか!
この神の愛に感謝し、神の愛があることを信じて生きるところに人生の醍醐味があります。
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主の備えがあることを、静かに信じ待つ一日として参りましょう。
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